多彩で豊かな日本神話の世界へようこそ!
正史『日本書紀』をもとに、
最新の学術成果も取り入れながら、どこよりも分かりやすい解説をお届けします。
今回は、
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段、一書の第10
メインテーマは「生と死の断絶」
特に、今回は
「完全なる断絶」
もうコレで最後。絶対に、確実に、お別れです。
概要で全体像をつかみ、ポイント把握してから本文へ。最後に、解説をお届けしてまとめ。
現代の私たちにも多くの学びをもらえる内容。日本神話から学ぶ。日本の神髄がここにあります。それでは行ってみましょう!
- 日本神話研究の第一人者である榎本先生監修。確かな学術成果に基づく記事です
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段〔一書10〕黄泉との完全なる断絶
目次
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段〔一書10〕の位置づけ
前回、『日本書紀』巻第一(神代上)第五段〔一書9〕からの続き。
下図、赤枠部分。第五段〔一書10〕。
上図を見てのとおり、
第五段は、『日本書紀』神代の中で、最も異伝が多い段。こんな伝承もある、あんな伝承もある、と計11パターン。
『日本書紀』最大の特徴である、一書の存在。本伝と一書の関係についてはコチラ↓をチェック。
- 本伝の内容をもとに多角的、多面的に展開する異伝、それが一書。
- 本伝があっての一書であり、一書あっての本伝というように、お互いにつながり合って、関連し合って、踏まえ合って、多様で豊かな日本神話世界を構築している。
で、
それもそのはず。第五段は超重要テーマが目白押し。
特に、天下之主者生み、三貴子の誕生と分治、そして生と死の断絶など。今後の日本神話展開の起点となる設定がたくさん埋め込まれてる。
神ならではのワザ(神業)連発、神ならではの極端な振れ幅、基本的に意味不明。でも、ご安心を。当サイトならではの分かりやすいガイドがあれば迷うことはございません!
ということでコチラ
全11もある異伝も、大別すれば2通り。整理しながら読み進めるのが〇。
- 本伝踏襲 差違化型・・・〔一書1~5〕
- 書6踏襲 差違化型・・・〔一書6~11〕
※踏襲・・・踏まえるってこと。前段の内容、枠組みを。
※差違化・・・(踏まえながら)変えていくこと、違いを生んでいくこと。神話に新たな展開をもたらし、多彩で豊かな世界観を創出する。
で、今回お届けするのは、〔一書6〕踏襲差違化型の〔一書10〕。
〔一書6〕の「生と死の断絶」を元に、どうやったら伊奘冉尊=死とお別れできるか?ってことで〔一書9〕と〔一書10〕それぞれで差異化。この位置づけをしっかりチェック。
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段〔一書10〕の概要とポイント
〔一書10〕は、「生と死の断絶」をメインテーマとする〔一書6〕からの差違化を踏まえるのがポイント。
- 〔一書6〕 ケンカ別れ&磐石で物理的に遮断・断絶
- 〔一書9〕 一方的逃走&:桃と杖で呪術的に遮断・断絶
- 〔一書10〕協議し互いの合意による断絶(離婚)
ということで、確かに、生と死の2つのベクトルが創り出す力学バリエーションは3つくらい。
衝突、トンズラ、話し合い
そうした経緯、枠組みを踏まえた上で、〔一書10〕は全2部構成。
- 二神の協議離婚
- 禊による神生み
ポイントは3つ。
①完全なる断絶を演出。もう最後、絶対に、確実に、お別れです。
神ながら、コレまでヒドい別れを経てきた伊奘諾尊と伊奘冉尊。だからこそ、今度こそ、ス~テキな別れさ~♪やっと、、、整いました。協議離婚、円満解決。今はここでそうBye For Now~♪
〔一書10〕という独立した伝承を用意して、完全に、不可逆的に、誰が何と言おうと、間違いなく、死とは断絶しましたよ、向こう側(伊奘冉側)も望んでないし大丈夫ですよ。立会人もいるので安心ですよ。そんな体(体裁)で構成されてます。
次!
②鉄板の掟「死と生は路を異にする」。前提&共通認識として設定
だって、、やっぱ、怖いし。。。おまえの国の人間を1日1000人縊り殺すと呪いをかけた伊奘冉。 まだ黄泉で生きてるから。巨大な磐石で封じたとはいえ、どっかのタイミングで出てきちゃうかもだし、、(;゚д゚)ゴクリ…
だからこそ必要な「生と死の完全断絶」。そのために設定されてるのが、
死者も求めてないよ
という建付け。
- こちら(生者)が、死や死者との関わりを求めないのは当然として、
- あちら(死者)も、生や生者との関わりは求めてない、という形にしてるんです。
互いに不干渉。互いに別々の路を行く。それを互いに合意する。〔一書10〕の骨子はこういうところにあって。伊奘諾尊、伊奘冉尊の二神も共通認識としてもってるってことをチェック。だからこそ言える、完全なる断絶。
次!
③男女の物語は協議に始まり協議に終わる!?日本神話史上初の協議離婚成立の意味。
思い起こせば第四段〔本伝〕。二神のラブストーリーはココから始まった。。。
天浮橋での協議
そう、新しい時代の幕開けは男女二神の協議から始まったんやったね。あの頃が遠い過去のように感じられるのは私だけ?
そして、奇しくも、今、ここで別れの時を迎えている二神もまた、協議によって終わろうとしてるんやね。これはきっと偶然じゃないよ~。新しい時代がそうさせてるのさ。だって僕らはニュージェネレーション!
てことで、この協議による完結もまた、完全断絶演出のためのアレコレ設定。話し合って決めたわけだから。合意の上で決めたわけだから、後戻りはないよね。ってことでチェック。
まとめます
- 完全なる断絶を演出。もう最後、絶対に、確実に、お別れです。
- 鉄板の掟「死と生は路を異にする」。前提&共通認識として設定されている
- 男女の物語は協議に始まり協議に終わる!?日本神話史上初の協議離婚成立の意味。
以上3点を元に本文をチェックです。
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段〔一書10〕の本文と現代語訳
『日本書紀』国立国会図書館デジタルコレクションより慶長4(1599)刊版 ある書はこう伝えている。伊奘諾尊は後を追って、伊奘冉尊のいる所に至った。
そして語って「お前を(失った事が)悲しくて来たのだ」と言った。伊奘冉尊は、「親族のあなたよ、どうか私を見ないで下さい」と答えた。伊奘諾尊はそれには従わず、猶も見た。それ故、伊奘冉尊は恥じ恨んで「あなたは私の様子を見てしまった。私もまたあなたの様子を見る」と言った。このとき伊奘諾尊も恥じた。
そこで、そこを出て帰ろうとした。この時、ただ黙って帰らず、盟って「必ず離縁しよう」と言った。そしてまた「親族のお前には負けない」と言った。そこで(誓いを固めるために)唾を吐いたところの神を速玉之男という。次に、これまでの事柄を一掃したことの神を泉津事解之男という。合わせて二柱の神である。
その妻と泉平坂で相戦う時になって、伊奘諾尊は、「始め、私が親族のお前のために悲しみ、また慕ったのは、私が弱かったからだ」と言った。すると、泉守道者が、「伊奘冉尊のお言葉があります。『私はすでにあなたと国を生みました。どうしてさらに生きる事を望みましょうか。私はこの国に留まります。あなたと一緒にこの国を去ることはしません』と仰いました」と言った。この時、菊理媛神からも言葉があった。伊奘諾尊はそれを聞いて褒めた。そして、去って行った。
しかし、伊奘諾尊は自ら泉国を見た。これは全く良くないことだった。この穢れを濯ぎ払おうと思い、すぐに粟門や速吸名門を見に行った。しかしこの二つの海峡は潮の流れが非常に速かった。それ故、橘小門に帰り、穢れを濯ぎ払った。
その時に、水に入って磐土命を吹き生んだ。水から出て、大直日神を吹き生んだ。また入って、底土命を吹き生んだ。水を出て、大綾津日神を吹き生んだ。また入って、赤土命を吹き生んだ。そして水から出て、大地・海原の諸々の神々を吹き生んだ。
不負於族、これを「うがらまけじ」と読む。
一書曰。伊奘諾尊追至伊奘冉尊所在処。便語之曰。悲汝故来。答曰。族也勿看吾矣。伊装諾尊不従。猶看之。故伊奘冉尊恥恨之曰。汝已見我情。我復見汝情。時伊奘諾尊亦慙焉。因将出返。于時不直默帰、而盟之曰。族離。又曰。不負於族。乃所唾之神、号曰速玉之男。次掃之神、号泉津事解之男。凡二神矣。 及其与妹相闘於泉平坂也。伊奘諾尊曰。始為族悲及思哀者。是吾之怯矣。時泉守道者白云。有言矣。曰。吾与汝已生国矣。奈何更求生乎。吾則当留此国。不可共去。是時、菊理媛神亦有白事。伊奘諾尊聞而善之。乃散去矣。 但親見泉国。此既不祥。故欲濯除其穢悪。乃往見粟門及速吸名門。然此二門、潮既太急。故還向於橘之小門。而払濯也。于時入水吹生磐土命。出水吹生大直日神。又入吹生底土命。出吹生大綾津日神。又入吹生赤土命。出吹生大地海原之諸神矣。 不負於族。此云宇我邏磨[禾+既]茸。 (『日本書紀』巻第一(神代上)第五段〔一書10〕より
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段〔一書10〕の解説
第五段〔一書10〕、いかがでしたでしょうか?
これまでの展開とは全然違う雰囲気に戸惑われたのでは、、、?
特に伊奘諾尊、、、「お前を失ったことが切なく悲しくてやってきた」とか、伊奘冉尊に見られて恥じた、とか! 「私が弱かったからだ」とか!! もはや別人、、いや、別神か。
そして、突然登場する「泉守道者」とか、「菊理媛神」。。。どういう展開でそうなっちゃってるんか、なんで登場するのか、意味不明なところも多かったと思います。
でも、ご安心を。以下、しっかりバッチリ解説していきますので、一つひとつ解きほぐしていきます。
改めて、〔一書10〕は、〔一書6〕からの〔一書9〕〔一書10〕という、差違化展開の流れ、そして文脈で解釈すること。
差異化を一覧整理。
| 比較項目 | 〔一書6〕 | 〔一書9〕 | 〔一書10〕 |
| 伊奘冉のスタンス | 還る | 還れない | 還らない |
| 訪問場所 | 黄泉 | 殯斂 | 泉国 |
| 見るなの禁破りの理由 | 不聴 ↑陽主導 |
忽然不見、闇 ↑真っ暗だったから |
不従 ↑切なさ悲しさから |
| 平坂周辺イベント | 逃走&時間稼ぎ | 逃走&撃退 | 闘(決別協議) |
| 断絶方法 | 岩石で物理的に | 桃と杖で呪術的に | 協議で合意により |
ポイントは、伊奘冉尊のスタンス。〔一書10〕では、
還らないスタンス
還るのではなく、還れないのではなく、還らない。生の世界には戻らない。
コレ、今までのスタンスとは全然違うってこと、激しくチェック。生と死の完全断絶のために設定されてる仕掛け。
還りたくないんだったらしょうがないよね。じゃあ(仕方ないから)縁ガチョね。って流れ。〔一書10〕の大きな骨子であります。
全2部構成。
- 二神の協議離婚
- 禊による神生み
以下、実況中継スタイルでお届けです。
前半: 二神の協議離婚
後半: 禊による神生み
- しかし、伊奘諾尊は自ら泉国を見た。これは全く良くないことだった。この穢れを濯ぎ払おうと思い、すぐに粟門や速吸名門を見に行った。しかしこの二つの海峡は潮の流れが非常に速かった。それ故、橘小門に帰り、穢れを濯ぎ払った。
- 但親見泉国。此既不祥。故欲濯除其穢悪。乃往見粟門及速吸名門。然此二門、潮既太急。故還向於橘之小門。而払濯也。
→ポイント2つ。
①泉国、それはやはり穢れた場所
ここでようやく登場「泉国」。伊奘諾尊が訪れた場所が判明。
コレも、完全断絶演出のため。これまでの、恐怖の死者世界=黄泉、といったイメージを和らげる?
黄泉国〔一書6〕、、、からの、、、、泉国!
って、、なんかキレ-な感じするよ。。きっと、清水湧き出る泉がたくさんあるステキな国なんだろう。。名前って大事だ。。。
全く別の名前にしちゃうと黄泉ではなくなってしまうので。1文字削ることに。場所曖昧&名前を変えるの巻??
でも、その実態は黄泉と同じような設定になってます。
そこは、自ら見てしまったことが既に良くないレベル(原文:不祥)だし、穢れのある(原文:穢悪)所だった。。と。
次!
②〔一書6〕を踏襲した禊祓。ポイントは、最適な場所の厳選&徹底洗浄と神の誕生
〔一書6〕の祓除に対応をもつ伝承。
分かりやすくまとめてみるとこんな感じ。
| 比較項目 | 〔一書6〕 | 〔一書10〕 |
| 最適な場所の厳選 | 「上瀬是太速、下瀬是太弱」と見極めた末に「於中瀬」と選びとる | 「粟門及速吸名門」を見に行き、「潮既太急」と見極めた末に、「橘之小門」を選びとる |
| 徹底洗浄と神の誕生 | 「上・中・表」で徹底洗浄のつど神を誕生させる | 三回の「沈濯於海底」「潜濯於潮中」「浮濯於潮上」という徹底洗浄のつど神を誕生させる |
と、基本の枠組みを踏襲しつつ、新たな展開(差違化)をはかってます。
ポイントは、最適な場所の厳選&徹底洗浄と神の誕生。
「すぐに粟門や速吸名門を見に行った。しかしこの二つの海峡は潮の流れが非常に速かった。それ故、橘小門に帰り(原文:乃往見粟門及速吸名門。然此二門、潮既太急。故還向於橘之小門。)」とあり、最初2か所見に行ったんだが、潮の流れ速すぎてヤバいと。なので、最終的に、禊に相応しい場所として「橘之小門」を選んだ訳です。
「粟門」は、鳴門海峡とされてます。うず潮で有名ですよね。
「速吸名門」は、豊予海峡とされてます。ココ、実は、潮の流れが超速なスポットとして神武東征神話でも登場。
「橘小門」は、〔一書6〕でも登場。「筑紫の日向の小戸の橘の檍原」詳しくはコチラ↓で。
次!
- その時に、水に入って磐土命を吹き生んだ。水から出て、大直日神を吹き生んだ。また入って、底土命を吹き生んだ。水を出て、大綾津日神を吹き生んだ。また入って、赤土命を吹き生んだ。そして水から出て、大地海原諸々の神々を吹き生んだ。
- 于時入水吹生磐土命。出水吹生大直日神。又入吹生底土命。出吹生大綾津日神。又入吹生赤土命。出吹生大地海原之諸神矣。
→入って出てを3回くらい繰り返す。。。多動性?
これ、意味としては、徹底洗浄の行為として。1回1回、入って生んで、出て生んでを繰り返す訳ですから。直前の、穢れに対して徹底的に洗浄することで浄化が際立つ仕掛け。
コントラスト技法。
穢れ→浄化の振り幅が大きければ大きいほど、劇的となり、その分、神威の強い神が誕生するということです。
誕生した神々
| 1ターン目 | 2ターン目 | 3ターン目 | |
| 水に入って吹生み | 磐土命 | 底土命 | 赤土命 |
| 水から出て吹き生み | 大直日神 | 大綾津日神 | 大地海原諸々の神々 |
ポイント3つ。
①実は、〔一書10〕では、伊奘諾と伊奘冉は、国しか生んでない、という体(体裁)になってます
一番最後の伝承「大地海原諸々の神々を吹き生んだ(原文:吹生大地海原之諸神矣。)」について。これ、サラッと書いてありますが、要は、伊奘諾尊が神生み(万物生み)をしたってこと。
もっと言うと、先の伊奘冉尊の言葉『私はすでにあなたと国を生みました』から解釈するに、〔一書10〕の伊奘冉尊は神生みしてないことになってるんです。
これは何故か、というと、2つあって、
- 伊奘諾尊の神功を神生みにそくして極大化するため
- 次の段以降へのつなぎとして、天照大神ら「三神」の誕生は〔書六〕を唯一のかたちとして一元化するため
なんです。
どういうことか、以下解説。
②伊奘諾尊の功績=神功を最大化する
伊奘冉尊との共同作業は、国生みだけに限定し、神生み&万物生みは伊奘諾尊とすることで、伊奘諾尊の功績=神功が最大化されるようになってるんです。
伊奘諾尊は偉大な神であった、、、
花をもたせてあげてるイメージ
実際、この後の、第六段〔本伝〕冒頭で、伊奘諾尊は引退することになります。そこへ向けた準備、前振り、わたりとして位置づけられる訳です。
これは、
大きく言うと、既に〔一書6〕で天照大神ら三神が誕生しているからで。
新しい世代、新しいリーダー、いや、もっというと、高天原の統治者が誕生したわけで、彼ら彼女らに路を譲る意味あいがあるんです。老兵は去るのみ。その去り際にあたって、神生みや山川草木はじめとする万物生みの功績を、花を持たせてあげたってことですね。
次!
③今後の展開を見据え、天照大神誕生はあくまで〔一書6〕が唯一である
〔一書10〕の後半は、次の段以降へのつなぎとして位置づけられていて、準備が始まってるってるんです。
これまでの内容を引き継いで、次へつないでいく。
特に、天照大神ら「三神」の誕生は超重要事項。あんまり異伝はつくりたくなくて。
〔一書6〕を唯一のかたちとして一元化、絶対化したい思惑あり。
変にいろいろあると、いよいよ訳分かんなくなるしね。
ということで、
禊により神生みはするものの、天照大神ら「三神」の誕生は描かない。あくまで〔一書6〕の天照大神誕生経緯が唯一であると。
そんな意味があるってこと、次へのつなぎとしてもしっかりチェックです。
〔一書10〕で誕生した神々
登場した神々:泉守道者、菊理媛神
まとめ
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段、一書の第10
だーっと解説してきましたが、いかがでしたでしょうか?
メインテーマは「生と死の断絶」。特に、今回は
「完全なる断絶」
今まで、泥沼夫婦喧嘩絶賛展開中だった伊奘諾尊・伊奘冉尊の二神。もうコレで最後。絶対に、確実に、お別れでした。協議して、合意の上で、円満離婚。ホント、良かったです。。。
構成は、
- 二神の協議離婚
- 禊による神生み
と、2つから成り、第五段〔一書6〕を踏襲しつつ項目ごとに差違化。
〔一書10〕単体で解釈せず、〔一書6〕からの、〔一書9〕〔一書10〕という差違化展開の流れ、そして文脈の中で解釈するのが○
| 比較項目 | 〔一書6〕 | 〔一書9〕 | 〔一書10〕 |
| 伊奘冉のスタンス | 還る | 還れない | 還らない |
| 訪問場所 | 黄泉訪問 | 殯斂訪問 | 泉国訪問 |
| 見るなの禁破りの理由 | 不聴 ↑陽神主導・上から |
忽然不見、闇 ↑真っ暗だったから |
不従 ↑切なさ悲しさから |
| 平坂周辺イベント | 逃走&時間稼ぎ | 逃走&撃退 | 闘(決別協議) |
| 断絶方法 | 岩石で物理的に | 桃と杖で呪術的に | 協議で合意により |
特に重要なのは、伊奘冉尊のスタンス。〔一書10〕では、
還らないスタンス
還れないのではなく、還らない。生の世界には戻らない。還りたくないんだったらしょうが無いよね。じゃあ(仕方ないから)サヨナラね。これが〔一書10〕の骨子であります。
ちなみに、伊奘冉尊の「役目が終わった感」は、次の第六段〔本伝〕で、伊奘諾尊の引退として具体的になっていきます。
続きはコチラ!!第五段〔一書11〕天照大神の天上統治と農業開始
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日本神話編纂の現場!奈良にカマン!
本シリーズの目次はコチラ!
佛教大学名誉教授 日本神話協会理事長 榎本福寿
埼玉県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程国語学国文学(S53)。佛教大学助教授(S58)。中華人民共和国西安外国語学院(現西安外国語大学)文教専家(H1)。佛教大学教授(H6)。中華人民共和国北京大学高級訪問学者(H13)。東京大学大学院総合文化研究科私学研修員(H21)。主な書籍に『古代神話の文献学 神代を中心とした記紀の成りたち及び相関を読む』がある。『日本書紀』『古事記』を中心に上代文学における文献学的研究成果多数。
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
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ここからは、人間モデル神として振り切って解説。
つまり、情動や、本音と建前や、言い訳や、諦めや、割り切り、、と言った「人間臭さ」が読み解くポイント。
以下、男=伊奘諾尊、女=伊奘冉尊、として。いろいろ画策する男、自覚をもちブレない女の神対応。そんな別れの物語。。。
→男は追いかけた。そして女のいる所に至った。。。
て言うけど、、、コレ、もはや、なんで追いかけたのか、どこに至ったのかも伝えない斬新さ。〔一書10〕は、理由も場所も曖昧にしてしまう差異化からスタート。
考えられる理由としては、男女の離縁に集中・特化するため。余計な憶測を呼んでしまうアレコレは要らんのです?
次!
→画策する男の打った一手!ミッシングユーベイベー
「お前を(失った事が)悲しくて来たのだ」発言、ポイント2つ。
そう、本音と建前の二段攻め。男、いろいろ画策する。
これ、つまり、陽神として陰神を主導する、その立場としては、不意に断絶した「国生み」は続けたい訳です。でも、死んだ相手に、まだ終わってねえから帰るぜなんて理屈を述べても納得してくれない。てか無粋だよね。だから画策。本音はさておき、建前全開で「お前がいなくなって、切なくて悲しくてさ、、、だから来たんだぜ」というアプローチを選んだ男の一手!
次!
→優しく、愛情推しで寄せてきた男。それに対して、女の返す一手は、、、
奥義「見るなの禁」!
いきなりキタ━(゚∀゚)━! って、ポイント2つ。
①「族」とは、親族。夫婦、親子など、深い縁を結んでいる人のこと
「族」。コレ「うがら」と読ませ、〔一書10〕の最後に「不負於族、これを「うがらまけじ」と読む。(原文:不負於族。此云宇我邏磨●[禾+既]茸。)」とあり、「うがら」と読ませる指示付き。
「族」とは、親族。夫婦、親子。兄弟姉妹から血の続いた親戚とか。ここでは、夫婦の間柄での呼称として使われてます。
参考となるのは、コレまでの二人の掛け合い。それは、
といった呼称で情を交わしていましたよね。ところが、ココで変化。「族」という呼称になってる。
この理由は、ココでの場面は、一応、死者の世界へ来ているという体(体裁)になっていて、生者と死者では違うので、これまで使用してた呼称は使えない、という事情があるから。 だけど、夫婦であったことまでは否定できない。しない。といった条件下での使用となってます。
だって、夫婦であることまで否定したら、そもそもの前提がなくなるから。
夫婦だった、という枠組みは維持する。けれど、死により離縁した、という体(体裁)にする必要があるため、「族」という言葉に着地させたんですね。
なので、女としては、以前の関係を踏まえつつ、一線を引いた呼びかけを使った、ってことになります。この「最初から線引きしてる感」は次のポイントである「死者としての自覚」につながります。
次!
②死者としての自覚あり。女が課した「見るなの禁」は、女なりの理屈あり
〔一書10〕の女は、死者としての自覚があるんです。コレ理解する大前提として、
「死と生は路を異にする(死生異路)」(『捜神記』巻16)
つまり、死者と生者は同じ世界で存在できない、別々の路である、という考え方があるってこと、まずチェック。古代の生死観。
もう少し言うと、
この前提があり、女はそのことをしっかり自覚してる。
還らないんだと。
「死と生は路を異にする(死生異路)」んだと。
だからこそ、見るなと言う。
そう、安易に見るべきものでは無いんですよね。死者とか屍体とか、異世界のモノは、、、そらそうだ。
ちなみに、この自覚は、
後半の、『私はすでにあなたと国を生みました。どうしてさらに生きる事を望みましょうか。私はこの国に留まります。あなたと一緒にこの国を去ることはしません。』発言へつながっていきます。これも合わせてチェック。
次!
→女が繰り出した奥義「見るなの禁」。それに対して男は、、、従わずに見る!
ポイント3つ。
①従わずに禁破りするのは、陽主導による当然のスタンス
従わず見る男。。。この「不従」って言葉、とても重要で。男のスタンスが表れてる。従わないんです。女の言うことには。
これは、陽としては当然のスタンスで。「尊卑先後の序」に基づく(編纂当時の価値観として)当然の行動として整理。
次!
②「見る=正体露見→恥じる」という話型、人間モデル神ならではのパターン
「見る」という言葉。さらっと流してはいけません。結構重要ワード。
じーっと見られる
コレってなんか不安になりますよね。「見る」っていう行為は単純なんだけど実は奥が深くて。
日本神話的には、「見る」という行為には「正体露見」という「結果」が伴う。一つの「話形」としてチェック。
異類の者が見るなの禁を課し、通常の者が破る=見ることで、異類の正体が露見する。
という展開。そして、めっちゃジャパーン的なところでいうと、
見られた側は、だいたい「恥じる」。
そう、日本特有の「恥の文化」の起源がココに。これもチェックです。
次!
③見たのは女の正体。つまり死体であり穢れそのもの
男が見ることによって露見したのは、女の正体。つまり、死者・死体であり、穢れそのものであります。これは、後半で「これは全く良くないことだった。この穢れを濯ぎ払おうと思い」とある事から。
ここで、男の心情・事情的なところを整理。
そもそも、ココにやってきた目的は、国生みの続きをしたいから。陽として当然のスタンス。コレ、本音。
でも、表向きには、お前の死が悲しく、切なさに耐えきれずやってきたんだよ、って伝えておこう。コレ、建前。
そしたら、女が見るなって言うから、オイオイそれは違うだろ、って見てやったんすよ。
したら、、、マジか!めっちゃ穢れてる!うわー、ヤバい所来てもうたー!! 別れよ。これあかんわ。絶対バイバイや。。でも、、、それ、この状況で言われへんよな。。。て感じで。コレがこの後の、男が恥じる、ってところにつながっていきます。
次!
→、、、何この、よく分からん見つめ合いイベント。そして、お互いに恥ずかしがる不思議展開。。。
ポイント3つ。
①「恥じる」って、とっても人間的。まさに人間モデル神!
女が「見るなの禁」を課したのも、そもそも死者として、それは腐敗し屍体になった自分であり、そんな自分の正体露見を恐れたから、と解釈できます。
でも、従わずに見る男。おい伊奘諾っ
で、見られた女は「恥じ恨んで」と、「恥+恨み」セットで自らの感情を表現しています。
コレはこれで、〔一書6〕で確立した人間モデル神を継承してる、ってことで。これは最早、神ではなく人の域。
ポイントは、女と男で別々の漢字で「恥じる」を表現してる、ってこと。
「慙」の意味は、心にざくりと切りこみを入れられた感じがする。やられたと痛み入る。また、申し訳ないと思う。 恥じる。
女は、正体露見により恥じてるのですが、男は、もっと意味深な感じて恥じてる訳ですね。この意味はこの後で解説。ここでは、別の漢字が使われてるってこと、しっかりチェック。
次!
②見たのは「情」。正体だけでなく、実情とか、本当の心情といった意味も含む重要ワード
改めて、
じーっと見られる。
なんか、、、やっぱ不安になりますよね。「見る」と言う行為は、単純ですが奥が深い。
そして、〔一書10〕では、この「見」の目的語として「情」という言葉が設定されてます。(原文:汝已見我情。我復見汝情。)」
この「情」、実情の「情」なのですが、意味としては、実際の正体、だけでなく、本当の心情・実情、といった意味も含みます。
敢えて、広い意味になるような言葉が選ばれてる。コレを元に解釈する必要あり。
次!
③自覚している女の強さと、たじろぐ男、、、
よく分からない見つめ合いイベント。お互いに恥ずかしがる不思議展開。。。ポイント2つ。
1つ目。
今までの女に無い行動。。。見返すなんて、、、見られて恥じるばっかりだったのに、、、
まず、この女の行為は、やはり「死と生は路を異にする(死生異路)」を自覚してる設定、ってことがあります。
女は自覚してる。自分が死者であり、屍体状態であることを。だからこそ、別々にならないといけないと。なんなら自覚以上の、覚悟的なものを持ってる訳です。
それなのに!禁を破って見てくる男!(#゚Д゚)ゴルァ!!
おまえこそ、なにやってんだよ? なんでここにいるんだよ?って感じで、だから見る。見返す。
これまでにない行動を生み出しているのは、女の自覚とか覚悟とかであって。そこには「女の強さ」的なものも感じさせる訳です。
そして、ポイント2つ目。
見るという「逆襲」をしかけられた男は、、、慙じる。
先ほども触れました。「慙」の意味は、心にざくりと切りこみを入れられた感じがする。やられたと痛み入る。また、申し訳ないと思う。 恥じる。ってこと。
つまり、女が見た男の「情」とやらは、、、「慙」に相当する内容だった訳です。
コレが、先ほど解説した、本音と建前の話につながります。
女が見た、男の情とは、男が表側の愛情表現とは別に、本当は国生みの続きをするために連れ戻しに来たってこと。もっと言うと、あたしのためじゃなかった、自分のためだった。。しかも、穢れた国と死体を見て、ドン引きして別れようとしてる、なんなら、勝手に帰ろうとしてる。。。男のズルさ、、、まさにコレ。
これを承けて、
男は、自分の隠してた本音がバレたことで恥ずかしい、むしろヤバ・・・(;゚;Д;゚;) となってる。まさに、心にざくりと切りこみを入れられた感じがする。やられたと痛み入る。だから「慙」。
次!
→自覚により強さを得た女を前に、たじろぐ男、慙じる男、、、そんな男が繰り出す一手とは!
捨て台詞!
強がり!!
、、、て、それでいいのか!??? でも男って、そういう所あるよね、、マズくなると逃げる、みたいな。
ただ、ここでの男は、腐っても男、陽としての矜持を最後に見せつけます。それが、、、黙って帰らず誓いを立てて離縁を申し渡す。決別の捨てゼリフ、負けねえぞと強がり??
以下、詳細。
①言表と行為の形式。神はまず言い表して行動する。
言表と行為は、神様の行動特性、神様コンピテンシーのこと。まず言い表す。それから行為に及ぶ、という形式。
〔一書10〕では、
死者との決別を宣言する、そして実際に離縁・決別する
という形式が設定されてます。
「親族のお前と離縁する」と誓った。また「親族のお前には負けない。」と誓った。というところ、まさに言表の典型例ですね。
次!
②「盟」は、盟約の盟。誓盟であり、これに背けば誅伐をうける
誓った2点。(原文:而盟之曰。族離。又曰。不負於族。)
この宣言に使用されてるのが「盟(ちかう)」という言葉。
実は、この「盟」。めっちゃ重く、強い言葉なんです。
たとえば、『日本書紀』天智天皇条に、大友皇子が左右大臣以下の重臣と共に行った「誓盟」「盟約」に関する記述あり。
「六人同心、奉天皇詔」。そして、重臣たちの誓盟を「臣等五人随於殿下、奉天皇詔」。さらにこの六日後の例を「五臣 奉大友皇子、盟天皇前。」(以上、天智天皇十年十一月)
立太子のタイミングにあって、天皇の前で盟約した訳です。
「盟」は、「同盟」「誓盟」であり、これに背けば誅伐を被る、といっためっちゃくちゃ重く、強い言葉。そして、一度結んだ誓盟については変更は許されない。
類例として、
とあり、「渝(改める、変える、違える)」を厳しく戒めてます。
つまり、
という、男の「盟」には、もはや絶対に心変わりしないという強固な決意が込められてる、ってことなんです。慙じる男の起死回生の一手!?
次!
→誓いを立てた!その後に男が繰り出したのが2つ!!
コレにより、二柱の神が生まれたと。ポイント3つ。
①約束を固める「唾」吐き。呪詛に通じる言語呪術としての意味
「唾」は約束を固めるに使われます。古代ならではのオモロー!な考え方ですよね。
類例として、
など。いずれも、「唾」を伴う呪詛的言語呪術として意味づけてます。
次!
②「唾」に続く「掃」!一掃して完全に断捨離!
「掃」は、関係を断つ意味、といった解釈が大勢を占めますが、ココではむしろ、もっと強力で。
一掃する
そんな感じ。完全に断捨離。
これ、それまで、女が「私もまた、あなたの様子を見る」と言って見た「男の情(実情、心情)」を含む一切を、それこそ一掃するといった意味アリ。
完全に断捨離する訳です。一旦、ここで区切り!
次!
→場所移動。泉平坂。これ、もちろん〔一書6〕の「黄泉平坂」の差異化形。
そして展開されるのは、〔一書6〕とは違う「別れのカタチ」。一応、死者との「訣別の戦い(原文:闘)」であります。ポイント1つ。
①男の告白。イヤ、アレは実は、、僕の弱さがそうさせたのさ、、、
強さを得た女を前に、たじろぐ男、慙じる男、、、去り際の断捨離アレコレが終わって、、からの、男の畳みかける一手!
「最初さ、オレ、お前のために悲しんでさ、しかも慕った(って言った)のはさ、オレの弱さのせいなんだよ」って。
「弱かったからだ」=「怯」。コレ、気持ちがしっかりせず弱い、意気地がない意。
コレって、つまり、、、優しい言葉をかけたのはオレじゃなくて、オレの弱さのせいさ。オレの弱さがそうさせただけだから(オレは今、もはや一緒に帰りたいなんて思ってないから、分かってくれ)。さよなら。グッバイ。ってこと。一方的な男の論理による別れの言葉。
てか、、、はっきり言って、、、
見苦しい!
なんだよ、それ。。オレの弱さがそうさせたなんてさ。。。ホントに。それに対して、、、女の方がオトナです。
次!
→突然登場、泉守道者。オマ、、誰やねん!??
泉守道者には「白」という言葉使われてます。コレ、「もうす。のべる。上へ向かって意見を陳述する」という意味。関係的には伊奘諾尊が上の存在として位置づけられてます。
→ポイント2つ。
①向こうも求めてない、死が生の世界へやってくることはあり得ない、という完全断絶
そもそも、、「死と生は路を異にする(死生異路)」ってことを、女が自覚してる設定になってるから。むしろ女の方がオトナ対応。神対応。
すでに国を生んだ。万物を生んだ。だから、もはや戻って生きること(生)など求めない、と。
この女の固い意志は、〔書六〕の「愛おしいあなたよ、なぜこんなに来るのが遅かったのですか。私はすでに黄泉のご飯を食べてしまいました。。。(原文:吾夫君尊、何来之晩也。吾已飡泉之竈矣)」て言ってたのとは激しく対照的。
そもそも、見るなの要請を男が破ったことに起因する対立であり、それさえも不問のまま、みずからの意向だけを主張する女。
ここにおいて、
あたかも、さきに男が宣告した「族離」を、女が、みずからの主体的・自律的判断において選びとったかの様相を呈しています。
結果的に、向こうも求めてない、死が生の世界へやってくることはあり得ない、と言った完全断絶が演出されている訳です。
スゴイ仕掛けです。
こうして見てくると、男はいろいろ画策してあーだこーだする一方で、女は首尾一貫、ブレてない。
これ、ぱっと見は、だらしない&ズルい男と、強さをもったブレない女、と言う見方になりますが、もう少し引いて見ると、
生(男)の方からアプローチはしてみたけどさ、結局、死(女)の方は元に戻らないって言ってるからそれでいいじゃん、的な構造とも言える訳です。つまり、それだけ死の意思は固い。つまり、それだけ(生にとっては)安心てこと。
もっと言うと、コントラストが駆使されてるとも言えて。軟弱 VS 硬派。
一方が軟弱であればあるほど、もう一方の意思や決意の固さが際立つ仕掛けになってる。まさにコントラスト技法の妙。
もんのすごい練りに練られた神話になってる。古代日本人の叡智、その結晶がここに。もはや文学世界に突入!
次!
②第三者の立会人による保証付き
突然登場、「泉守道者」。
コチラ、「泉平坂」に道祖神のように坐す神。当てられてる漢字のとおり、道を守る、道祖神のような神様です。今回は、弁護人&立会人としての役割を担っており、伊奘冉尊の言葉を伝えることで、素敵な別れを斡旋。
コレ、後で登場する「菊理媛神」も同様。
男と女の二人だけだと、後で言った言わないになるじゃないですか。。。泥沼防止の仕掛け、保証・保険としてチェック。
登場する神にも意味があって、
「泉守道者」・・・道の守り神。この世とあの世をつなぐ道を司る訳で、この神が立会人として保証すれば間違いない!
「菊理媛神」・・・言葉の通り「締めくくり」を意味する神。金輪際、これで終わらせたい訳なので、この神が締め括ってくれれば間違いありませぬ!
物理的に遮断、話の展開的にも締め括る。よく考えられてます。突然登場するんでビックリするのだけがたまにキズ、、、
次!
→この辺り、初見では意味不明の部分だったかと思います。。。
ポイント2つ。
①「菊理媛神」からあった言葉は、伊奘諾尊にとって承諾できる内容、つまり、泉守道者が伝えた「言」に通じる内容
菊理媛神、何を言ったのかよく分からなーい!
ですが、語った内容は、伊奘諾尊がそれを聞いて褒めているので、伊奘諾尊にとって都合の良い内容、承諾できる内容、つまり、泉守道者が伝えた「言」に通じる内容として解釈できます。
それは、「族離」にかかわること。
『私はすでにあなたと国を生みました。どうしてさらに生きる事を望みましょうか。私はこの国に留まります。あなたと一緒にこの国を去ることはしません。』
と似たような内容を伝えたってことです。
同じ「白」を使い、泉守道者に菊理媛神を対応させていることから、泉守道者の伝えた内容と対応しているはずですし、「くくり」というその神名は総括の意をもち、それは伊奘諾尊と伊奘冉尊の関係、生と死の関係を総括する内容に通じる訳で。
それに対して伊奘諾は、(やったぜ、これで完全に断絶できる!)善し!として褒めた訳ですね。うまく締めくくったなと。
これにより、
最後の最後に、二神はたがいの立場・主張をそれぞれ認めあった上で、完全に和解に至った、ということになるわけです。そういう事なんです!!!
次!
②協議にはじまり協議で終わる。日本神話的男女の典型
思い起こせば第四段〔本伝〕。二人のラブストーリーはココから始まった。。。
天浮橋での協議
そう、新しい時代の幕開けは男女二神の協議から始まったんやったね。あの頃が遠い過去のように感じられるのは私だけ?
そして、
奇しくも、今、ここで別れの時を迎えている男女もまた、協議によって終わろうとしてる。これはきっと偶然じゃないよ~。
新しい時代がそうさせてるのさ。だって僕らはニュージェネレーション!
「闘」という漢字を使用して始まった離婚協議。それは、死者と生者の訣別の戦いでもあって、、
今こうして、協議により、互いの合意により、無事に離縁、絶縁、もう戻れんを実現した訳です。良かったよ〜