多彩で豊かな日本神話の世界へようこそ!
正史『日本書紀』をもとに、
最新の学術成果も取り入れながら、どこよりも分かりやすい解説をお届けします。
今回は、
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段、一書の第9
メインテーマは「生と死の断絶」、
内容は〔一書6〕の基本を踏襲しつつ要素ごとに差違化して構成。
- 殯斂訪問
- 逃走撃退with桃
- 絶縁宣言
と、3つの要素、差違化構成。
「殯斂」とは、埋葬や火葬して葬るまでの間、死者を仮に喪屋に置いて弔うこと。古代の風習です。殯とも言う。
また、逃走撃退with桃と絶縁宣言はセット。再び登場、「見るなの禁」。で、今回も伊奘諾やっぱり見ちゃう。で、今度は雷に追いかけられる。それを桃でやっつけるお話です。
鬼を桃でやっつける、桃には鬼を退ける力がある、という古代の信仰反映。今でいう節分の豆まきですね。
と、古代トリビアも随所に登場する〔一書9〕。
概要で全体像をつかみ、ポイント把握してから本文へ。最後に、解説をお届けしてまとめ。
現代の私たちにも多くの学びをもらえる内容。日本神話から学ぶ。日本の神髄がここにあります。それでは行ってみましょう!
- 日本神話研究の第一人者である榎本先生監修。確かな学術成果に基づく記事です
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段の一書の第9 一方的な絶縁スタイル
目次
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第9の位置づけ
前回、『日本書紀』巻第一(神代上)第五段の〔書7,8〕からの続き。
下図、赤枠部分。第五段〔一書9〕。
上記図を見ても分かるとおり、
第五段は、『日本書紀』神代の中で、最も異伝が多い段。こんな伝承もある、あんな伝承もある、と計11パターン。
『日本書紀』最大の特徴である、一書の存在。本伝と一書の関係についてはコチラ↓をチェック。
- 本伝の内容をもとに多角的、多面的に展開する異伝、それが一書。
- 本伝があっての一書であり、一書あっての本伝というように、お互いにつながり合って、関連し合って、踏まえ合って、多様で豊かな日本神話世界を構築している。
でだ、
第五段は、異伝である〔一書〕が11個もあるって話。
それもそのはず。
第五段は超重要テーマが目白押しなんで。
特に、天下之主者生み、生と死の断絶、そして三貴神の誕生と分治など。。語り尽くせぬこの想い、体中に感じて。
神々ならではのミステリアス・ワールド。一歩間違うと意味不明。
でも、ご安心を。
当サイトならではのガイドがあれば迷うことはございません!
ということでコチラ
全11もある異伝も、大別すれば2通り。整理しながら読み進めるのが〇。
※踏襲・・・踏まえるってこと。前段の内容、枠組みを
※差違化・・・(踏まえながら)変えていくこと、違いを生んでいくこと
で、今回お届けするのは、〔一書6〕踏襲差違化型の〔一書9〕。
〔一書6〕の基本を踏襲しつつ要素ごとに差違化して構成。〔一書10〕とセットで読み解くのが○
だって、
伝えたいことがあるから。。
〔一書6〕の「生と死の断絶」をもっと違った形で伝えたくて。分かって欲しくて。。
2つの段で表現してみた。それが〔一書9〕と〔一書10〕。この位置づけをしっかりチェック。
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第9のポイント
ここからは、本文に入る前に、押さえておくべきポイントを2つチェック。
①〔一書9〕は3部構成。〔一書6〕をもとに差異化して構成
〔一書9〕は、全3部構成。
- 殯斂訪問
- 逃走撃退with桃
- 絶縁宣言
繰り返しになりますが、〔一書6〕をもとに差違化構成。
ざっと整理すると以下。
〔一書〕 | 〔一書6〕 | 〔一書9〕 |
訪問先 | 黄泉 | 殯斂 |
逃走契機 | 見るなの禁破り | 見るなの禁破り |
追手 | 泉津醜女八人 | 八色雷 |
防御方法 | 頭飾り→葡萄、櫛→筍 | 桃投げ |
逃走劇 | 時間稼ぎ | 撃退 |
断絶方法 | 陽神主導+喧嘩別れ | 陽神主導・一方的宣言 |
と言った感じで差違化。ココしっかりチェック。
②〔一書6〕からの〔一書9〕〔一書10〕へ。生と死の断絶をバリエーション豊かに展開
〔一書9〕は単体で捉えるのではなく、〔一書6〕からの〔一書9〕〔一書10〕という差違化展開といった流れで捉えるのが重要。
テーマは、「生と死の断絶」で。
バリエーションとして用意されてるのは以下。
- 互いに言い合う(相互に一方的宣言):〔一書6〕
- 一方的宣言のみ(向き合ってさえいない):〔一書9〕
- 協議離婚(向かい合って協議して解決):〔一書10〕
確かに、
生と死の2つのベクトルが創り出す力学バリエーションは3つくらいしかない。
- ぶつかり合い
- 一方向のみ
- 円満着地
で、今回の〔一書9〕は一方的宣言パターン。相手不在。
伊奘冉尊不在のまま一方的に断絶宣言です。
という事で、まとめます。
- ①〔一書9〕は3部構成。〔一書6〕をもとに差異化して構成
- ②〔一書6〕からの〔一書9〕〔一書10〕へ。生と死の断絶をバリエーション豊かに展開
〔一書9〕全体に漂う一方的な感じをチェックです。
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第9の本文と現代語訳
ある書はこう伝えている。伊奘諾尊は妻に会いたくなり、殯斂のところへ行った。すると伊奘冉尊は、まだ生きているかのように、伊奘諾尊を出迎え共に語った。そして伊奘諾尊に、「私の愛しい夫よ、どうかお願いです、私を決して見ないで下さい。」と言った。そう言い終わると忽然と姿が見えなくなった。このとき暗闇となっていた。伊奘諾尊は一つ火を灯してこれを見た。すると、伊奘冉尊の身は膨れあがっていて、その上に八色の雷がいた。
伊奘諾尊は驚き逃げ帰った。その時、雷達が皆起きあがり追いかけてきた。すると、道端に大きな桃の樹があった。伊奘諾尊はその樹の下に隠れ、その実を採って雷に投げると、雷達はみな退き逃げていった。これが、桃で鬼を追い払う由縁である。そして、伊奘諾尊は桃の木の杖を投げつけ、「これよりこちら側には、雷は決して来るまい。」と言った。この杖を岐神と言う。元の名は来名戸之祖神と言う。
いわゆる八色の雷とは、首にいたのは大雷といい、胸にいたのは火雷といい、腹にいたのは土雷といい、背にいたのは稚雷といい、尻にいたのは黒雷といい、手にいたのは山雷といい、足の上にいたのは野雷といい、陰の上にいたのは裂雷という。
一書曰。伊奘諾尊欲見其妹。乃到殯斂之処。是時伊奘冉尊猶如生平出迎共語。已而謂伊奘諾尊曰。吾夫君尊。請勿視吾矣。言訖忽然不見。于時闇也。伊奘諾尊乃挙一片之火而視之。時伊奘冉尊脹満太高。上有八色雷公。伊奘諾尊驚而走還。是時雷等皆起追来。時道辺有大桃樹。故伊奘諾尊隠其樹下。因採其実以擲雷者。雷等皆退走矣。此用桃避鬼之縁也。時伊奘諾尊乃投其杖曰。自此以還、雷不敢来。是謂岐神。此本号曰来名戸之祖神焉。所謂八雷者。在首曰大雷。在胸曰火雷。在腹曰土雷。在背曰稚雷。在尻曰黒雷。在手曰山雷。在足上曰野雷。在陰上曰裂雷。 (『日本書紀』巻第一(神代上)第五段〔一書第9〕より)
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第9の解説
あらためて、〔一書9〕は、全3部構成。
- 殯斂訪問
- 逃走撃退with桃
- 絶縁宣言
と、大きく3つ。
実際に読んでみると、確かに〔一書6〕を彷彿とさせるポイントがありましたよね。再度コチラ↓
〔一書〕 | 〔一書6〕 | 〔一書9〕 |
訪問先 | 黄泉 | 殯斂 |
逃走契機 | 見るなの禁破り | 見るなの禁破り |
追手 | 泉津醜女八人 | 八色雷 |
防御方法 | 頭飾り→葡萄、櫛→筍 | 桃投げ |
逃走劇 | 時間稼ぎ | 撃退 |
断絶方法 | 陽神主導+喧嘩別れ | 陽神主導・一方的宣言 |
と言った感じで。
〔一書6〕黄泉往来譚からの〔一書9〕への差違化。ココしっかりチェック。
以下それぞれのパートごとに解説GO!
- 伊奘諾尊は妻に会いたくなり、殯斂のところへ行った。すると伊奘冉尊は、まだ生きているかのように、伊奘諾尊を出迎え共に語った。
- 原文:伊奘諾尊欲見其妹。乃到殯斂之処。是時伊奘冉尊猶如生平出迎共語。
→物語冒頭から、いくつかの前提が共有されてないと意味不明。
- 伊奘諾尊の妻は既に死んでいる
- 生前、二人は愛し合っていた
少なくとも、上記2点が無いと冒頭から成立しない構成になってます。この、当たり前のようにさらっと踏まえられてる前提が〔一書6〕ってこと。
その上で、
- 〔一書6〕・・・黄泉訪問
- 〔一書9〕・・・殯斂訪問
といった形で差違化させてる訳です。
あらためて、「殯斂」とは、埋葬や火葬などして葬るまでの間、死者を仮に喪屋に置いて弔うこと。「殯」ともいいます。
「殯」とは、「喪上リ」の意で、死者の魂が肉体から遊離して死ぬ(アガル)までの間の服喪をいいます。「斂」は死者をおさめ入れる意。
今でも、お通夜的なところでありますよね。古代の風習では、専用の遺体安置所として「喪屋」という小屋を建てたんです。ここで一定期間安置し、埋葬や火葬などして葬るまでの間、死者を弔っていた訳です。
愛する妻に会いたくなり、喪屋に安置されてる伊奘冉尊に会いに行った。すると、死んだはずの伊奘冉尊が、生きていたころと同じように伊奘諾尊を優しく出迎えあの頃のように共に語った=情を交わした。
幽霊???
このあたりは、志怪小説の枠組みをほぼ踏襲。必読チェックはコチラ↓
●必読→ 志怪小説:墓のなかの王女。漢の談生のお話 『捜神記』より
●必読→ 志怪小説:亡き妻を求めて冥界に行く男のお話 『捜神記』より
いずれも、若くして死んだ女と人間の男との間で生まれるアレコレ。。。( ゚Д゚)ヒョエー.
既に人間モデル神が活動している時代。編纂チームが人倫テキストをもとに、このようなダークファンタジー・ラブストーリーを構想していたことにビックリです。単なる模倣で終わらせず、そこに創意工夫を入れてオリジナルの物語として昇華。ほんとスゴいです。
- そして伊奘諾尊に、「私の愛しい夫よ、どうかお願いです、私を決して見ないで下さい。」と言った。そう言い終わると忽然と姿が見えなくなった。このとき暗闇となっていた。伊奘諾尊は一つ火を灯してこれを見た。
- 原文:已而謂伊奘諾尊曰。吾夫君尊。請勿視吾矣。言訖忽然不見。于時闇也。伊奘諾尊乃挙一片之火而視之。
→場面イメージとしては、ココ「喪屋」。殯斂なう。伊奘冉の遺体は棺桶の中にあり、ゴースト伊奘冉が生前と変わらぬ姿で目の前にいて、伊奘諾と語っている。。。
そこで、見るなの禁を課すゴースト伊奘冉。そして姿を消した。。。
そら見られるの嫌だよね。死んでんだから。なんなら腐敗が進んで膨らんでるんだから。。。(;゚д゚)ゴクリ…
むしろ、、、
空気読め伊奘諾!
原文「伊奘諾尊乃挙一片之火而視之。」とあり、伊奘諾尊は当然のように火をつけて見る。聞いてないよね、人の話。いや、神の話。あたしの話。。。
コレ、陽神主導のスタンスとして整理しておきましょう。陽としては、陰の話なんて聞く耳を持たんのです。そういうもんなのです。
- すると、伊奘冉尊の身は膨れあがっていて、その上に八色の雷がいた。伊奘諾尊は驚き逃げ帰った。その時、雷達が皆起きあがり追いかけてきた。
- 原文:時伊奘冉尊脹満太高。上有八色雷公。伊奘諾尊驚而走還。是時雷等皆起追来。
→しっかりイメージして! 見た伊奘冉尊の姿は「脹満太高」。
すごい表現だ、、、((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
膨れ満ち満ちて太く高くなってた。。。と。
つまり、、、
見上げるくらいになってた・・・??
まさかね。それだと棺桶に入りきらないし、いや、棺桶そのものが巨大だったのかい?
しかも、その膨れあがった屍体の上に八色の雷神が!恐ろしー!!!
この「八色雷公」、実は、〔一書6〕で伊奘冉尊の遣わした「泉津醜女八人」に相当。
- 〔一書6〕「泉津醜女八人」
- 〔一書9〕八色雷公
変えてきてますねー。
そして、〔一書6〕で解説したとおり、「醜女」の「醜」は威力のある、強いという意味。
それと同様に、激しく威力のある神として「雷公」が設定されてる次第。雷=厳ヅ霊(いかづち)。
ココ「喪屋」ですから。真っ暗ですから。暗闇でも視認できる神としては雷が適任。むしろ、闇と光と、そのコントラストを印象付けるために登場してる。非常にドラマチックな仕掛けとなっております。
- すると、道端に大きな桃の樹があった。伊奘諾尊はその樹の下に隠れ、その実を採って雷に投げると、雷達はみな退き逃げていった。これが、桃で鬼を追い払う由縁である。
- 原文:時道辺有大桃樹。故伊奘諾尊隠其樹下。因採其実以擲雷者。雷等皆退走矣。此用桃避鬼之縁也。
→ちょうど良いタイミングで「桃」登場。桃の実を投げつけて悪霊退散の巻。
コレ、『芸文類聚』という漢籍に以下記述あり。
歳時記、桃ハ五行ノ精、邪気ヲ厭伏シ、百鬼ヲ制ス(『芸文類聚』菓部・桃)
桃の効果効能として2つ。
- 邪気を厭伏する、つまり、おさえしずめる
- 百鬼を制する、つまり、おさえとどめる
そもそも、古代にはこのような「桃=呪物」という思想や考え方あり、コレをベースに「雷公」を撃退する霊力を発揮する桃として位置づけられてます。
ちなみに、コレ、〔一書6〕の「蒲陶」や「筍」が「醜女」を惹きつけるのとは逆のチカラですよね。
つまり、
- 〔一書6〕「蒲陶」や「筍」が「醜女」を惹きつける その隙に逃げる 伊奘冉追ってくる
- 〔一書9〕「桃」が「雷公」を撃退する 余裕で逃げる 伊奘冉追ってこない
と、対照的な構図で構成されてます。
この違いは、やっぱり、伊奘冉自身が追いかけてくるかこないか、が一番大きい要素だと考えられます。
追いかけてこないので、撃退しちゃえばいいんです。それで十分。これにより、死に伴う邪鬼を完全に遮断したことを意味する訳ですね。
あとは、トリビア的なところで。
もっとディープに深堀りしてみた件はコチラ↓で!
「鬼」について。
「桃で鬼を追い払う」と伝える「鬼」とは、現代の私たちがイメージするような異形異類の怪物ではありません。
上代においては、例えば『万葉集』でも「鬼」はすべて「モノ」と訓ませるなど、要は、モノは「魔物」のことで、恐怖の対象をいいます。
なので、「桃で鬼を追い払う」と伝えてる内容も、「桃で魔物(恐怖の対象)を追い払う」くらいの意味として使われてることもチェック。
一応、通説では、「鬼」を「オニ」と読ませ、異形異類の怪物になるのは平安時代以降のことです。
- そして、伊奘諾尊は桃の木の杖を投げつけ、「これよりこちら側には、雷は決して来るまい。」と言った。この杖を岐神と言う。元の名は来名戸之祖神と言う。
- 原文:時伊奘諾尊乃投其杖曰。自此以還、雷不敢来。是謂岐神。此本号曰来名戸之祖神焉。
→桃の木の枝を投げつけ断絶宣言。
そう、伊奘冉が追いかけてこないから。互いに言い合ってお別れだね的な、ハッキリ分かる結末が無いから。
テーマが「生と死の断絶」なんで、ココでは、伊奘冉が追いかけてこないので、呪物を使って一方的宣言で終了させてる訳です。
境界には境界標を打ちますよね。
あれと同じで、ココでは邪気を祓う力のある桃、その枝でつくった杖を投げて、境界を明確化してるんです。杖のあるところからこちら側には邪のものどもはやってこなくなる。
つまり、生と死の断絶コンプリート! まず、ここしっかりチェック。
次いで、「岐神」について。
この杖を岐神と言う。元の名は来名戸之祖神と言う。
コレ、〔一書6〕で、夫婦絶縁後につたえる「因曰 自此莫過。即 投其杖 。是謂 岐神也。」を踏まえてます。
「岐」は道の股になった所。そこは村と村や、黄泉国と現国うつしくにとの境界であり、そこに坐すのが岐神。
「岐」は「経 勿 所」で、そこを経過するなという所、の意。
「来名戸」は「来 勿 所」で、「来るな」という所の意で、邪神の侵入を禁止する神。
「祖神」は「塞ノ神」で、侵入を禁止する=阻止する、遮る、ということ。防塞の神であり、道を守る「道祖神」なので、「祖神」と書き「サヘノカミ」と訓んでます。
- 邪気を祓う力のある桃、その枝でつくった杖を投げて、境界を明確化
- 杖が神となって、境界外からの邪神の侵入を防ぐ、阻止する役目を持たせてる
以上2点、チェックです。
- いわゆる八色の雷とは、首にいたのは大雷といい、胸にいたのは火雷といい、腹にいたのは土雷といい、背にいたのは稚雷といい、尻にいたのは黒雷といい、手にいたのは山雷といい、足の上にいたのは野雷といい、陰の上にいたのは裂雷という。
- 原文:所謂八雷者。在首曰大雷。在胸曰火雷。在腹曰土雷。在背曰稚雷。在尻曰黒雷。在手曰山雷。在足上曰野雷。在陰上曰裂雷。
→一覧化すると以下の通り。
首 | 大雷 | 尻 | 黒雷 |
胸 | 火雷 | 手 | 山雷 |
腹 | 土雷 | 足 | 野雷 |
背 | 稚雷 | 陰 | 裂雷 |
なぜそれぞれの箇所でそれぞれの雷になってるかは不明。
八は多数を意味。一つひとつ命名していき一括するのが神話技法。大八洲国も同じ。
まとめ
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段、一書の第9
メインテーマは「生と死の断絶」。
内容は〔一書6〕の基本を踏襲しつつ要素ごとに差違化して構成。
- 殯斂訪問
- 逃走撃退with桃
- 絶縁宣言
と、3つの要素、差違化構成。
〔一書9〕は単体で解釈せず、〔一書6〕からの〔一書9〕〔一書10〕という差違化展開といった流れのなかで解釈。
生と死の断絶バリエーションは3つ。
- 互いに言い合う(相互一方的宣言スタイル):〔一書6〕
- 一方的宣言のみ(向き合ってさえいない):〔一書9〕
- 協議離婚(向かい合って協議して解決):〔一書10〕
と、生と死の2つのベクトルが創り出す力学バリエーションあり。
で、今回の〔一書9〕は一方的宣言パターン。相手不在。
伊奘冉尊不在のまま一方的に断絶宣言。
〔一書9〕全体に漂う一方的な感じをチェックです。
続きはコチラ!!第五段〔一書10〕黄泉との完全なる断絶
神話を持って旅に出よう!
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佛教大学名誉教授 日本神話協会理事長 榎本福寿
埼玉県生まれ(S23)。京都大学大学院文学研究科博士課程国語学国文学(S53)。佛教大学助教授(S58)。中華人民共和国西安外国語学院(現西安外国語大学)文教専家(H1)。佛教大学教授(H6)。中華人民共和国北京大学高級訪問学者(H13)。東京大学大学院総合文化研究科私学研修員(H21)。主な書籍に『古代神話の文献学 神代を中心とした記紀の成りたち及び相関を読む』がある。『日本書紀』『古事記』を中心に上代文学における文献学的研究成果多数。
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
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