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大山祇神とは?伊奘諾尊の火神斬断により誕生し、娘の神吾田鹿葦津姫を天孫に嫁がせる。日本神話をもとに大山祇神を分かりやすく解説します。
『日本書紀』第五段 現代語訳
〔本伝〕天下之主者生み(神生み)
次に海を生んだ。次に川を生む。次に山を生む。次に木の祖、句句廼馳を生む。次に草の祖、草野姫を生む。またの名を野槌と言う。
〔一書6〕人間モデル神登場による新たな展開
ある書はこう伝えている。伊奘諾尊と伊奘冉尊は共に大八洲国を生んだ。
その後に、伊奘諾尊は、「私が生んだ国は朝霧だけがかすんで立ちこめ満ちていることよ。」と言った。そこで吹き払った気が化して神となった。名を級長戸辺命と言う。また級長津彦命と言う。これが、風の神である。また飢えた時に子を生んだ。名を倉稲魂命と言う。また、海神等を生んだ。名を少童命と言う。山神等は名を山祇と言い、水門神等は名を速秋津日命と言い、木神等は名を句句迺馳と言い、土神は名を埴安神と言う。その後に、悉くありとあらゆるものを生んだ。
〔一書7〕激烈なシーンで化成する激烈な神
ある書はこう伝えている。伊奘諾尊は剣を抜き軻遇突智を斬り、三つに刻んだ。そのうちの一つは雷神となった。もう一つは大山祇神と成り、一つは高龗と成った。
〔一書8〕
ある書はこう伝えている。伊奘諾尊は軻遇突智命を斬り、五つにばらした。これがそれぞれ五つの山祇に化成した。一つは首で大山祇と成った。二つは身体で中山祇と成った。三つは手で麓山祇と成った。四つは腰で正勝山祇と成った。五つは足で䨄山祇と成った。
この時、斬った血がほとばしり流れ、石や礫、樹や草を染めた。これが草木や砂礫がそれ自体に火を含み燃えるようになった由縁である。
麓は、山のふもとのことを言う。これを「はやま」と読む。正勝、これを「まさか」と読む。ある書では「まさかつ」とも読まれる。䨄これを「しぎ」と読む。音は烏含の反。
『日本書紀』第九段 現代語訳
〔本伝〕
その時、その国に美人がいた。名を鹿葦津姫と言う。<またの名は神吾田津姫。またの名は木花之開耶姫>。皇孫がこの美人に、「おまえは誰の子か」と尋ねると、「私は天神が大山祇神を娶って生んだ子です。」と答えた。
〔一書2〕
そこで、天津彦火瓊瓊杵尊は日向の串日高千穂峯に降り立ち、不毛の地を丘づたいに国を求めて通り、浮島のある平らな土地に立った。そして、國主の事勝國勝長狭を呼んで尋ねると、「ここに国があります。どうぞご自由に」と答えた。そこで皇孫は宮殿を立て、そこで休息した後、海辺に進んで一人の美人を見かけた。皇孫が、「おまえは誰の子か」と尋ねると、「私は大山祇神の子です。名は神吾田鹿葦津姫、またの名は木花開耶姫です」と答え、さらに、「また、私には姉の磐長姫がいます」と申し上げた。皇孫が、「私はあなたを妻にしようと思うがどうか」と尋ねると、「私には父の大山祇神がいます。どうかお尋ねください」と答えた。皇孫がそこで大山祇神に、「私はあなたの娘を見かけた。妻としたいと思う」と語ると、大山祇神は二人の娘に多くの飲食物を載せた机を持たせて進呈した。すると皇孫は、姉の方は醜いと思って招くこともなく、妹の方は美人であったので招いて交わった。すると一夜にして身籠った。そこで磐長姫は大いに恥じ、「もし天孫が私を退けずに招いていたら、生まれる子は長寿で、堅い岩のように長久に繁栄したことでしょう。今そうではなく妹だけを一人招いたので、生まれる子はきっと木の花のように散り落ちることでしょう」と呪詛を述べた。――あるいは、磐長姫は恥じ恨んで、唾を吐いて泣き、「この世の人々は木の花のように儚く移ろい、衰えることでしょう」と言った。これが世の人が短命であることの発祥であると言う。
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