『古事記』神話をもとに、日本神話に登場する神様を分かりやすく解説します。
今回は
「建日方別」
です。「吉備児嶋(現在の、岡山県の児島半島)」の名として、『古事記』上巻、国生み神話で登場。
本エントリでは、「建日方別」の神名の名義、誕生にまつわる神話を分かりやすく解説します。
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
建日方別(たけひかたわけ)|勇猛な東南の風の男神。大八嶋国を生んだ後、戻る途中で生んだ6嶋のひとつ吉備児嶋を神格化
目次
建日方別とは?その名義
「建日方別」= 勇猛な東南の風の男神
『古事記』では、大八嶋国を生み終えたあと引き返すときに嶋が生まれたと伝えており、その最初に生まれた嶋が吉備児嶋(現在の、岡山県の児島半島)。この嶋の名として「建日方別」を伝えます。
児島半島は、古代、島であり、瀬戸内海航路の寄港地でした。16~17世紀までに干拓が進められ地続きになった経緯あり。古く、5世紀頃まで吉備地域を支配していた豪族にとって瀬戸内の海上交通の要衝であったと考えられられてます。
「建」は、「勇猛な」の意。
「日方」は、風の吹いてくる方向、風向きのことで、地域にによって指す方角がことなりますが、ここでは、東南の風(西南風などの説もあり)。
用例としては、『万葉集』に「天霧らひ日方吹くらし水茎の岡の水門に波立ち渡る」(巻7-1231)。
「別」は、男子の敬称。古い時代の姓。本来「地方を分け治める者」の意で、5~6世紀の皇族名に多く使われてました。のちに「姓」となっていきますが、「八色の姓』には入ってません。
建日方別が登場する日本神話
「建日方別」が登場するのは、『古事記』上巻、国生み神話。以下のように伝えてます。
その後、還り坐す時、吉備児嶋を生んだ。またの名は建日方別という。次に、小豆嶋を生んだ。またの名は大野手比売という。次に、大嶋を生んだ。またの名は大多麻流別という。次に、女嶋を生んだ。またの名を天一根という。次に、知訶嶋を生んだ。またの名は天之忍男という。次に、両児嶋を生んだ。またの名は天両屋という。吉備の児島から天両屋の島まで合わせて六つの島である。 (引用:『古事記』上巻より一部抜粋)
「然る後、還り坐す時(然後、還坐之時)」とあり、柱巡りして大八嶋国を生み終え引き返すときに嶋が生まれたようで、その最初に生まれた嶋が吉備児嶋(現在の、岡山県の児島半島)であり、この名として「建日方別」を伝えます。
▲青文字が、還り坐す時に誕生した6嶋。①が「建日方別」です。
『古事記』は、生んだ嶋に神名をつけることで神格化してるのがポイント。
この理由は、誕生した大八嶋国が、伊耶那岐と伊耶那美の子供であること、血縁関係にあること、生まれた島々が血脈によるつながりをもっていることを明確にするためです。
ちなみに、、、
吉備児島については、『古事記』では大八嶋国の中には含まれてないのですが、『日本書紀』では、本伝のほか、一書の1,6,7,8,9でも大八洲国の中に含めてます。(※〔一書6〕の「子洲」を吉備子洲とする説あり)
コレについて、なんなら、『古事記』の大八嶋国誕生後の六嶋誕生の箇所は、あとで追加されたものだと。そこには、遣唐使の南路航路の開発が反映されてるのだとする説あり。
もともとは、中央に反抗を続けていた吉備の勢力があり、それを支配下に組み込んだ歴史があって、、吉備児島を拠点としつつ、瀬戸内海航路の要衝として重視した歴史が反映されてるんじゃないか、という説も。それが、『日本書紀』には反映されたけど、『古事記』では後で6嶋誕生譚の中で追加され、遣唐使の航路開発の重要性を組み込んだんじゃないかと、、、コレ、神話と歴史が交錯するロマン発生地帯。
建日方別を始祖とする氏族
嶋の名なので、氏族の始祖とはなりません。
参考文献:新潮日本古典集成 『古事記』より一部分かりやすく現代風に修正。
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