「熊野灘」は、紀伊半島の東側、北は三重県大王崎から南は和歌山県潮岬にかけての海域の名称。
北は複雑、南は直線。
大泊より北は複雑なリアス式海岸が広がり、凸凹が激しい地形です。一方、熊野市から南へ、新宮までは礫からなる直線的な海岸(七里御浜海岸・三輪崎海岸)が続きます。
今回は、そんな熊野灘を、日本神話的切り口から眺め、その神話的位置づけや関連するおススメ観光スポットをまとめてご紹介します。
熊野灘のおすすめ観光スポット|日本神話的熊野灘の位置づけと要チェック観光スポットをご紹介!
目次
熊野灘の地理的位置づけ
北は三重県大王崎から南は和歌山県潮岬にかけての海域。

熊野灘は黒潮が流れ、有名どころでは、カツオ、マグロ、そしてクジラが知られてます。
明治時代までは黒潮を回遊するカツオの大群が沿岸近くまで来ていたそうで、八丁櫓船などの手漕ぎ船でカツオ漁が盛んだったとか。

また、
那智勝浦は今でも西日本を代表するマグロ水揚げ基地で、本マグロをはじめ様々なマグロが水揚げされてます。そして、太地町は捕鯨の町としても知られていますね。
例えばコチラ!

▲那智勝浦港の昔。マグロびっしり! コチラ、ホテル浦島の館内に掲示されています。
熊野灘に属する市町村は、
三重県(紀宝町、御浜町、熊野市、尾鷲市、紀北町、大紀町、南伊勢町、志摩市)と和歌山県(串本町、那智勝浦町、新宮市)で、11市町村。
例えば、熊野市大泊付近から七里御浜を望むビュー。

からの、、



▲普段は波も穏やかで、美しい海。でも実は、、、神話的にはこの地は荒ぶる神が棲む場所として位置づけられてます。
これからご紹介する日本神話関連スポットが属するのは、三重県(熊野市)と和歌山県(新宮市)。神話的超重要スポットとして、是非チェックされてください。
熊野灘の日本神話的位置づけ
まずは、熊野灘の日本神話的位置づけからご紹介。
日本神話では主に「神武東征神話」で登場。
神武東征神話とは「神武天皇による日本の建国神話」。
大業を広め天下を統治するために、世界の中心を目指して東征する神話。『日本書紀』『古事記』に記載されてます。
「世界の中心地=中洲=日本建国の地」
「中洲」をめざし宮崎の日向から東へ、様々な試練と苦難を乗り越え目指した大和の地。そこで最終的に「橿原」が選ばれ、現在の橿原神宮で初代天皇として即位するわけです。
日本最古の英雄譚であり、サクセスストーリー。
この壮大な神話の中で、熊野灘が登場。東征神話の中でも大きな転換点として位置づけられてます。
一言でいうと、
異界の地、熊野。
伊奘冉尊に代表される荒ぶる神々が棲む世界。
そして、熊野灘のはるか先には、「常世の国」があるという設定。
その内容を、以下ご紹介。
神武東征神話における熊野灘の位置づけ
まずは、神武東征神話のルートをチェックしましょう。
「東征」という名前だけに、「西から東へ」。
近畿地方には、岡山の「高島の宮」から入る設定です。

地図の番号をもとに物語の概要をチェック。
①孔舎衛坂:初めて踏み入れた近畿の地。生駒山を超えて大和の地=奈良平野=中州に入ろうとしますが、山と最大の敵「長髄彦」が立ちはだかり、この坂で激戦に。そして初戦敗退。
②竈山:長兄の「五瀬命」が孔舎衛坂激戦で受けた傷がもとで死んでしまいます。この地に葬り、復讐を誓います。東征という理想を追うプロジェクトに、復讐という新たな目的が追加された重要スポットです。
③新宮:潮岬を回って紀伊半島の東側へ出た東征一行。その最初にたどり着いた地が、現在の新宮です。神話上は「神邑」。ここで、現在の神倉神社がある「天磐盾」に登ります。
④大泊:新宮から大泊へ向かう途中で、暴風雨に遭遇。ココで次兄と3兄の二人を失います。なんとか切り抜けた一行は現在の大泊から陸路へ。
⑤橿原:大泊からは熊野の急な坂と険しい山道を進みます。陸路は陸路でいろいろな困難や試練が立ちふさがるのですが、天照大神のヘルプもあってクリア。最終的に橿原で即位する流れ。
ここでのポイントは、①の孔舎衛坂での敗戦。
「なぜ負けたのか?」
その理由が重要で。この敗戦が、物語の展開に大きな影響を与えてます。
理由は2つ。
- 天照大神(太陽神)の末裔である神武が、天神を祭りもせず、
- 東征=西から東へ向かって敵と戦う=昇る太陽に向かって矢を向ける=勝てない、という事。
なので、
- 天神の訓えにより祭祀をしっかり行い、
- 日の力を得て戦う=お日様を背にする=東から西へ向かうルートが必要、という事。
これにより、紀伊半島をぐるっと回るルートを選択し、東から西へ、太陽の威光を背に受けて大和の地へ入ろうとしたわけです。
熊野灘はその途上で登場するスポット。
テーマは、
試練の熊野灘
であります。
熊野灘で発生する神話エピソード
熊野灘周辺のポイントは全4つのスポット。

①神邑:現在の新宮市、阿須賀神社。紀伊半島の東側で最初に立ち寄った地。
②天磐盾:現在の神倉神社のゴトビキ岩。熊野灘をはるかに望み見た地。
③花窟:現在の花窟神社。伊奘冉尊が鎮まる地。
④荒坂:現在の大泊から42号線付近。熊野の神が毒気を吹きかけ全軍昏倒する地。
特に、この地での試練や苦難は2つ。
- 暴風雨の発生と次兄・3兄の喪失。
- 熊野の神が襲いかかり全軍昏倒。
ホント、いろいろあります。。。汗
神武は4人兄弟なのですが、敗戦をきっかけとして和歌山の竈山で長兄を亡くし、さらに、この地で残りの兄たちの全てを失うという試練。東征の理解者であり協力者の全てを失う意味は大きく、この熊野以降、身内は息子だけという状況に追い込まれる訳です。
また、熊野の神の毒気による全軍昏倒は、絶体絶命のピンチといった感じで、自分たちではどうしようもない状況。暴風雨といい、神の毒気といい、「神を含む人智を超えた大自然の大きな驚異にさらされる」といった意味合いがこの熊野灘にはあります。
で、そんな試練や苦難が襲い掛かる熊野灘ですが、
神話解釈的には、この地は「異界・魔界の地」であり、「荒ぶる神々が棲むエリア」として位置づけられてます。
その代表格が③の「伊奘冉尊(♀)」が鎮まる花窟。
詳しくはコチラでご紹介していますが、
要は、
- 『日本書紀』神代記において一書まるまる使って具体的な地名と祭祀方法を伝えていることから、伊奘冉祭祀は重要な位置づけであったこと。
- 「伊奘冉尊=黄泉の国=死」と「伊奘諾尊=この世界=生」という対立構造があること。
- さらに、神武は天照大神の子孫、天照は伊奘諾尊の子という設定から、神武は伊奘冉にとって憎き元夫の子孫であること。
このことから、
この地に鎮まる伊奘冉尊が、憎き元夫の子孫が自分の支配領域に足を踏み入れたことで、様々な試練を与えようとした。その象徴が突然発生する暴風雨であると言えます。コレ、壮大な神話ロマン。

実際、神武もこのエリアの「ヤバさ」を事前に察知しており、それが②の天磐盾に登った時のお話に記されています。
それが、「軍を引き、軍を漸進させた」という内容。詳しくはコチラで!
「軍を引く」とは、東征神話全体においても、2か所でしか使われていない重要表現。
1つが、孔舎衛坂敗戦時。2つ目が、ココ熊野です。
「東征=前に進む」が大前提であり、「軍を引く=後退する」というのはよほどの状況と解釈すべきで。敗戦は理解できるとしても、それ以外の場所で使われているということは、そのコトの重大さが分かりますね。
つまり、神武はこの天磐盾の地で、はるかに望み見た熊野灘に「ただならぬ気配」を察知した、だからこそ、軍を引き、注意深く少しずつ進んだ、ということです。
ここから言えるのは、
神邑は伊奘冉尊を筆頭とする荒ぶる神々が棲む、言わば「魔界」への入口、あるいは境界の地ということ。
果たして、魔界に踏み入れた神武たちを待っていたのは暴風雨であり兄たちの喪失、熊野の神の毒気という絶体絶命のピンチだったという訳です。
神邑はその意味で重要で、コチラで要チェック。
熊野灘の向こうには常世の国がある
ココで、常世の国について触れておきます。本件、根拠としては2つあります。

- 神武東征神話における、3兄「三毛入野命」喪失時の記述より。
- 人代、垂仁天皇記における、天照大神お引越しの記述より。
①の東征神話においては、暴風雨の中、3兄の「三毛入野命」が、「常世の国」へ去ってしまうことを伝えてます。
暴風雨の中で行ってしまうのですから、その方向は海上、太平洋方面ですね。
そして、
②の垂仁天皇記においては、天照大神が伊勢の地を選んだ理由として、
この神風の伊勢国は、常世の浪の 重浪 帰する国なり。傍国の 可怜し国なり。是の国に 居らむと欲ふ。
「この神風が吹く伊勢国は、理想郷から打ち寄せてくる波が幾重にも重なって次々に打ち寄せる国。宮中から遠く離れた国だけれど、とても美しい国だ。この国に居ることにしよう。」
として伝えます。
「(伊勢は)常世の浪が幾重にも重なって次々に打ち寄せる国だ」という事。
「常世の浪」とは、「常世の郷から打ち寄せて来る波」の事。「常世」は古代人が夢想した「神仙郷」で、不老長寿の理想郷です。
ということで、
伊勢の国は、そんな理想郷からの波がおしよせる美しい国、だからここに住みます、と宣言した天照大神、という訳です。
詳細はコチラで。
以上の2点の記述より、熊野灘の先、あるいは、伊勢の国の先、ずっと先には、常世の国という理想郷が設定されていたことが分かるのです。
熊野灘の日本神話的位置づけをまとめ
以上のことから、熊野灘の日本神話的位置づけをまとめると、
熊野灘周辺は、
- 伊奘冉尊に代表される「荒ぶる神々」が棲む「異界・魔界の地」として位置づけられている事。
- 熊野灘の先には理想郷である「常世の国」があると設定されている事。
が言えます。
この2点は、熊野灘を語るうえで必須の要チェックポイントとして是非。
やはり、背景には熊野の山岳信仰に代表されるように、この地が持つ奥深い山々と神聖な自然環境があると思います。それが神や人智を超えた存在や世界観を創りだしていったのではないでしょうか。
熊野灘はそんな神話ロマンをかきたてる素敵なスポットだということですね。
日本神話的熊野灘のおススメ観光スポット
観光的にもおススメですが、上記とおり「日本神話の伝承地」でもあり、重要スポットとして是非チェックされてください。
まずは、熊野灘が登場する日本神話をコチラでチェック!
そのうえで、、、
●神武天皇聖蹟熊野神邑顕彰碑(熊野との境界の地)
●阿須賀神社
●天磐盾(境界に立つ天から降った磐の盾)神倉神社
●伊奘冉尊祭祀の場所(花窟神社)
●熊野荒坂津(熊野市大泊港)
●地元的にはココだとされる「熊野荒坂津神社」
●いやむしろココだと石碑が建つ「熊野荒坂津」
おまけ、、、超絶ローカル伝承として
●鋤持神化したはずの稲飯命。その後、土民により発見され??室古神社に奉葬された、、
●同様に、常世の郷にいってしまったはずの三毛入野命も土民により発見され阿古師神社へ奉葬???そんなバカな!
そして、
熊野信仰についてはコチラで!
● 熊野速玉大社
● 熊野那智大社
● 那智の滝と飛瀧神社
一度は泊まってみたい。熊野灘周辺の有名ホテルはコチラ!
● ホテル浦島
まとめ
熊野灘
紀伊半島の東側、北は三重県大王崎から南は和歌山県潮岬にかけての海域の名称。
北は複雑、南は直線。
大泊より北は複雑なリアス式海岸が広がり、凸凹が激しい地形です。一方、熊野市から南へ、新宮までは礫からなる直線的な海岸(七里御浜海岸・三輪崎海岸)が続きます。
この熊野灘の日本神話的位置づけをまとめると、熊野灘周辺は、
- 熊野信仰と合わせて荒ぶる神々が棲む魔界の地として位置づけられている事。
- 熊野灘の先には理想郷である「常世の国」があると設定されている事。
という2点をチェックしておいていただければと思います。
一帯は、穏やかな時はホント穏やかで、美しい海岸線が広がっています。
是非、日本神話をもって、神話ロマンを楽しみながら観光されてください。超おススメスポットです!
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