「熊野」は、紀伊半島の南、和歌山県南部と三重県南部からなるエリア。
険しい紀伊山地と自然環境から、古来より神々が籠る深山の霊場として位置づけられてきました。
一言で言うと、よみがえりの聖地「熊野」。
熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を中心とする熊野信仰の中心地として古くから信仰を集めています。
今回は、そんな熊野を日本神話的観点から眺め、実は「よみがえり」の起源は神武東征神話にあるんじゃないかというお話をご紹介します。
日本神話的熊野の巡り方|よみがえりの聖地「熊野」の起源は神武東征神話にあり!?この地が持つ神話的意味や位置づけをまとめてみた
目次
熊野の地理
熊野の定義は歴史のどこで区切るかによって微妙に異なります。
現在は、和歌山県田辺市・新宮市・西牟婁郡・東牟婁郡、三重県尾鷲市・熊野市、北牟婁郡・南牟婁郡、全部で4市4郡(4市10町1村)とされてます。
台高山脈、大塔山脈、峯山脈、果無山脈、熊野山地、等々、紀伊山地南部の1000m越えの山々が続く山岳地帯。そして、熊野灘、紀州灘、枯木灘をはじめとする海域や、熊野川、北山川をはじめとする川の皆さん。
こうした自然環境を背景として、熊野三山を初めとする修験道の神社、そしてお寺が山中につくられ、熊野古道が通じています。
で、これらは世界遺産に「高野山」「吉野・大峯」と合わせて「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録されている次第。
まー、とにかく、険しい山々と海、川、大自然な感じ満載で、その神秘的な雰囲気が、数々の信仰や伝承を生んでいったわけですね。
熊野の日本神話的位置づけ
▲橿原神宮で公開されていた神武天皇御一代絵巻より
さて、そんな神秘的な雰囲気満載の熊野ですが、日本神話では主に「神武東征神話」で登場します。
神武東征神話とは「神武天皇による日本の建国神話」。
大業を広め天下を統治するために、世界の中心地を目指して東征する神話です。『日本書紀』『古事記』に記載。
「世界の中心地=中洲=日本建国の地」
「中洲」をめざし宮崎の日向から東へ、様々な試練と苦難を乗り越え目指した大和の地。そこで最終的に「橿原」が選ばれ、現在の橿原神宮で初代天皇として即位するわけです。
日本最古の英雄譚であり、サクセスストーリー。
概要はコチラで⇒「神武東征を丸ごと解説!ルートと地図でたどる日本最古の英雄譚。シリーズ形式で分かりやすくまとめ!」
この壮大な神話の中で、熊野が登場。東征神話の中でも大きな転換点として位置づけられています。
一言でいうと、
「神や大自然が立ちふさがる試練の地、熊野」。
その内容を、以下ご紹介です。
神武東征神話における熊野の位置づけ
まずは、神武東征神話のルートをチェックしましょう。
「東征」という名前だけに、「西から東へ」。近畿地方には、岡山の「高島の宮」から入る設定です。
神武東征ルート(近畿編)
地図の番号をもとに物語の概要をチェック。
①孔舎衛坂:初めて踏み入れた近畿の地。生駒山を超えて大和の地=奈良平野=中州に入ろうとしますが、山と最大の敵「長髄彦」が立ちはだかり、この坂で激戦に。そして初戦敗退。
②竈山:長兄の「五瀬命」が孔舎衛坂激戦で受けた傷がもとで死んでしまいます。この地に葬り、復讐を誓います。東征という理想を追うプロジェクトに、「復讐」という新たな目的が追加された重要スポットです。
③新宮:潮岬を回って紀伊半島の東側へ出た東征一行。その最初にたどり着いた地が、現在の新宮です。神話上は「神邑」。ここで、現在の神倉神社がある「天磐盾」に登ります。
④大泊:新宮から大泊へ向かう途中で、暴風雨に遭遇。ココで次兄と3兄の二人を失います。なんとか切り抜けた一行は現在の大泊から陸路へ。
⑤宇陀:大泊からは熊野の急な坂と険しい山道を進みます。陸路は陸路でいろいろな困難や試練が立ちふさがるのですが、天照大神のヘルプもあってクリア。現在の宇陀の宇賀志にたどり着きます。
⑥橿原:宇陀からは数多くの敵との戦いが続きます。ここでも天神地祇のヘルプによって連戦連勝。宇陀方面から橿原へ、つまり東から西へ入り、最終的に橿原で即位する流れ。
ここでのポイントは、①の孔舎衛坂での敗戦。
「なぜ負けたのか?」
その理由が重要で、建国神話を負け知らずの神話として組み立てることもできた訳で。この敗戦が、物語の展開に大きな影響を与えているのです。
敗戦の理由は2つ。
- 天照大神(太陽神)の末裔である神武が、天神を祭りもせず、
- 東征=西から東へ向かって敵と戦う=昇る太陽に向かって矢を向ける=勝てない、という事。
なので、
- 天神の訓えにより祭祀をしっかり行い、
- 日の力を得て戦う=お日様を背にする=東から西へ向かうルートが必要、という事。
ちょうど、天照の位置=伊勢神宮の位置として見ると分かりやすいですよね。これにより、紀伊半島をぐるっと回るルートを選択し、東から西へ、太陽の威光を背に受けて大和の地へ入ろうとしたわけです。
熊野は、その途上で登場するスポットなんですね。
神や大自然が立ちふさがる試練の地、熊野
熊野で発生する神話エピソードは全部で4つ。
- 天磐盾遠望
- 熊野灘海難
- 荒坂全軍昏倒
- 熊野遭難
①以外は、海難とか昏倒とか遭難とか、、、まーいろいろ大変なイベントが発生します。
「②熊野灘海難」とは、暴風雨に巻き込まれて、東征における最大の協力者であるお兄さんたちを亡くしてしまう事。
「③荒坂全軍昏倒」とは、熊野の神が毒気を吐いて襲いかかり、神武はじめ全員が意識不明の重体に陥ってしまう事。
「④熊野遭難」とは、熊野の険しい山で道に迷い、進退窮まってしまう事。
次から次へと発生する試練と苦難。
まさに、「神や大自然が立ちふさがる試練の地、熊野」という訳です。
以下、詳細を。
天磐盾遠望
▲神倉神社の天磐盾よりはるかに広がる熊野灘を望むの図。
詳しくはコチラで⇒「熊野灘海難と兄の喪失|なぜ!?兄達は暴風雨の中で歎き恨み逝ってしまった件|分かる!神武東征神話No.7」
ココでのポイントは、
天磐盾で、これから発生する試練や苦難の前兆を察知するという事。
それは、「軍を引き、軍を漸進させた」という表現に表れています。
コチラも参考に⇒「神倉神社|眺望最高!唯一無二! 神武天皇が東征途上で登った天磐盾は角度垂直&驚愕の石段538段を上った先にソソリ立っていた件|和歌山県新宮市」
東征神話は本当によくできた神話で、背景には神代からつながる「この地の設定」があるんですね。
その「設定」をふまえて、試練イベントが発生。そして試練イベントの前には、その前兆を察知するイベントが用意されているという訳です。
熊野灘海難+荒坂全軍昏倒(陸難)
▲橿原神宮公開の神武天皇御一代絵巻より
詳しくはコチラで⇒「熊野灘海難と兄の喪失|なぜ!?兄達は暴風雨の中で歎き恨み逝ってしまった件|分かる!神武東征神話No.7」
⇒「熊野荒坂で全軍昏倒|神の毒気にヤラレて意識不明の重体に!?天照による危機救援は「葦原中國平定」再現の意味があった件|分かる!神武東征神話No.8」
ココでのポイントは、
伊奘冉尊に代表される「荒ぶる神々」が猛威を振るい神武一行に襲いかかったという事。
熊野一帯は「異界の地」または「魔界の地」といった設定があることを押さえておきましょう。特に、伊奘冉については、神武の生い立ちと神代神話に関連する深淵なテーマが背景にあります。
それは、「生と死の対立構造」。
詳細はコチラで⇒「花窟神社|黄泉の国=死を司る伊奘冉尊を祭る!高さ45mの圧倒的な巨岩が必要な理由を日本神話的背景から全部まとめてご紹介!|三重県熊野市」
神代神話で設定された「伊奘諾尊と伊奘冉尊」という「生と死の対立構造」を踏まえて暴風雨が発生、それはまさに「人を寄せつけない熊野の自然環境」とリンクします。
また、荒坂全軍昏倒は、突然「熊野の神」が襲いかかる訳ですが、これも人智を超えた自然の脅威を象徴するものです。
この地に足を踏み入れた神武一行を襲う試練。このことから、伊奘冉尊に代表される荒ぶる神々が猛威をふるう熊野、ということでチェックしておきましょう。
実際、花窟神社や熊野那智大社は伊奘冉尊を祭るなど、なしか伊奘冉系の臭いがプンプンする危ないエリアです。
熊野遭難
▲険しい山々が連なる熊野の山。これは確かに迷いそう。。。
詳しくはコチラで⇒「頭八咫烏の導きと熊野越え|山で迷って進退窮まる!?天照による2度目の救援は「天孫降臨」の再現だった件|分かる!神武東征神話No.9」
ココでのポイントは、
遭難イベントを通じて、神代神話の天孫降臨を再現したという事。
熊野三山、特に熊野本宮や熊野那智大社における、八咫烏推しはこの神話イベントがもとになっています。
『日本書紀』によると、神武一行は熊野の山中で迷ったものの、八咫烏を追いかけて、現在の宇陀市宇賀志に出ることができた、とあるので、本宮や那智大社が主張する八咫烏関連エピソードとは場所的にはつながらないのですが、、、
重要なのは、やはりこの地、熊野が持つ大自然を日本神話はしっかり取り込んでいて、険しい山で遭難し、そこに天照大神が救援に入るという神話イベントを用意しているという事ですね。
こうした神話背景を踏まえると、よみがえりの聖地「熊野」の起源は神武東征神話にあるとも言えて。とくに、荒坂全軍昏倒と「よみがえり」イベントはその原点であります。また、伊奘冉尊に代表される死の香りは、「黄泉がえり」という言葉とリンクしますよね。
現在でこそ、熊野は、自然が心と身体、そして魂を癒すので「よみがえりの地」といった紹介がされていることが多いですが、日本神話がその根本にあるということは是非チェックしておいていただければと思います。
熊野三山
もともとは熊野の大自然と自然崇拝や山岳信仰があって、それを背景として日本神話がこの地を体系的に組み込んでいきます。場所ごとに意味や位置づけを設定し、それに基づく神話イベントを用意。
それは、熊野の環境と密接につながっている訳です。
さらに、
後代になって、ここに仏教が入り込み、神仏習合、さらに本地垂迹説を通じて、熊野の神々が「権現化」していきます。
「本地垂迹」とは、仏教が全国展開&興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つ。
日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現である、と。
本体である仏や菩薩が「本地」、仮に神となって現われることが「垂迹」。二つ合わせて「本地垂迹」。そして、仮に現れた神のことを「権現」という訳です。
もともと在地にあった神様が仏教的体系の中に組み込まれてしまうという恐るべき思想で。
信仰していた神様が、ある日、実はそれは仏さまが化身として現れたんだよ、こっちが本元だよって言われるのって、、、汗
流石に無理筋なので、新しい名前を生み出して融合させたわけで、それが「権現」。
なので、自然信仰・山岳信仰→日本神話体系による神様の名前獲得→仏教と習合による本地仏とご利益の獲得、といった流れであり、そうして誕生したのが「熊野権現」という次第。そして、その熊野権現を祭る代表的な神社が「熊野三山」という訳ですね。
熊野三山とは、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3社の事。
- 熊野本宮大社の主祭神「家都美御子神」は「素戔嗚尊」であり、本地仏は「阿弥陀如来」
- 熊野速玉大社の主祭神「熊野速玉男神」は「伊奘諾尊」であり、本地仏は「薬師如来」
- 熊野那智大社の主祭神「熊野夫須美神」は「伊奘冉尊」であり、本地仏は「千手観音」
という感じ。
見事に、在地の信仰と、日本神話体系と、仏教体系が融合しております。
さらに大事なのはご利益の獲得。
三山はそれぞれ、
- 本宮は「阿弥陀如来」として西方極楽浄土を管轄、来世浄土へ導くご利益
- 新宮は「薬師如来」として東方浄瑠璃浄土を管轄、過去世の救済ご利益
- 那智は「千手観音菩薩」として南方補陀落浄土を管轄、現世ご利益
ということになり、
過去・現在・未来の3つの時間軸と対応するご利益を漏れなくゲット。
平安後期以降は、上皇の篤い信仰(熊野御幸)=朝廷との結びつき=政治的・資金的に大きなバックアップを得て、さらに、山伏や熊野比丘尼らの活躍もあって「熊野権現信仰」は大きなムーブメントとして広がり、全国に数千に及ぶ御分社が祀られるようになります。
そらこんだけのもんげー体系とご利益が入ればブームにもなるわと。
中世以降、庶民に広がった熊野信仰は、
過去世救済、現世利益、来世加護を説く「三熊野詣」こそ、滅罪・甦りへの道である!として、「蟻の熊野詣」の名のごとく熊野街道はめちゃくちゃ賑わったという次第。
有名な熊野古道も、こうして確立された訳ですね。ちなみに、熊野三山は熊野古道によって、お互いに結ばれていたりします。
これが、今でいう「全国に三千社以上と言われる熊野神社の総本宮」とされるざっくりとした経緯であります。まースゴイ。
そんな熊野信仰、是非チェックしていただきたいのは、コチラ!
熊野本宮大社
中央社殿が主祭神の「家津美御子神」。左手の社殿が「牟須美」・「速玉」の両神。右手は天照大神を祭ります。
昔は、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原」と呼ばれる中洲にありましたが、明治22年の大洪水で被害を受け、流出を免れた社を移築したのが現在の社殿。
住所:〒647-1731 和歌山県田辺市本宮町本宮1110
熊野速玉大社
熊野川河口に鎮座。現在の社殿は明治16年9月に炎上し、その後再建されたもの。
世界遺産には神社境内を中心に背後の「権現山(神倉山)」と熊野川に浮かぶ「御船島」及び「御旅所」を含んで指定されています。
⇒「熊野速玉大社|日本第一大霊験所&根本熊野権現!全国3千社ある熊野神社系列の総本宮は、熊野川の流れを背にした千穂ケ峰のふもとに静かに鎮座中|和歌山県新宮市」
⇒「神倉神社|眺望最高!唯一無二! 神武天皇が東征途上で登った天磐盾は角度垂直&驚愕の石段538段を上った先にソソリ立っていた件|和歌山県新宮市」
住所:〒647-0003 和歌山県新宮市上本町1丁目1
熊野那智大社
那智山の中腹、那智の瀧に対する原始の自然崇拝を起源とする神社です。
社殿は横一列に並ばず、三所権現をはじめとする主要五社殿と八社殿そして御県彦社が直角に配置されてます。
⇒「熊野那智大社|まるで天空の神社!熊野三山の一つ「熊野信仰の中心地」である神社は、熊野の深く険しい山にあって静謐な空気が漂っている件|和歌山県東牟婁郡」
⇒「飛瀧神社と那智の瀧|落差日本一の迫力!日本三名瀑のひとつである大滝は飛瀧神社のご神体として古くから人々の畏敬を集めてきた件|和歌山県東牟婁郡」
住所:〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
阿須賀神社
新宮川の河口付近、蓬莱山の南麓に鎮座。「阿須賀神社=神邑伝承地=神武東征神話」として。そして、社伝的には、熊野権現の本家本元はコチラの神社ということになっとります。「熊野発祥の地」としても重要な神社なので、是非チェックされてください。
⇒「阿須賀神社|新宮発祥の地!日本神話で「熊野神邑」として登場する神社は、航海・延命・生産・発育ご利益で篤い信仰を集めている件|和歌山県新宮市」
⇒「神武天皇成績熊野神邑顕彰碑|何をしでかすか分からない荒ぶる神々が棲む魔界の入口であり境界の地。なので恐る恐る訪れるべし。|和歌山県新宮市」
住所:〒647-0022 新宮市阿須賀1-2-25
くどいようですが、熊野信仰は熊野三山だけではありません!阿須賀神社も是非チェック。そして神武東征神話との関連と合わせて押さえておけば日本神話的熊野はバッチリOK!であります。
まとめ
「熊野」は、紀伊半島の南、和歌山県南部と三重県南部からなるエリア。険しい紀伊山地と自然環境から、古来より神々が籠る深山の霊場として位置づけられてきました。
一言で言うと、よみがえりの聖地「熊野」。
熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を中心とする熊野信仰の中心地として古くから信仰を集めています。
日本神話的観点から眺めてみると、実は「よみがえり」の起源は神武東征神話にあるんじゃないかというお話で。神話ロマンと合わせて是非チェックしていただければと思います。
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