経津主神ふつぬしのかみ|国譲りを迫り、葦原中国を平定したスゴイ神。日本神話をもとに経津主神を分かりやすく解説します。

経津主神

 

『日本書紀』神話をもとに、日本神話に登場する神様を分かりやすく解説します。

今回は

経津主神ふつぬしのかみ

『日本書紀』では、国譲りを迫り、葦原中国を平定したスゴイ神として「経津主神ふつぬしのかみ」を伝えます。

本エントリでは、「経津主神ふつぬしのかみ」の神名の名義、誕生にまつわる神話を分かりやすく解説します。

 

本記事の独自性

  • 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
  • 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
  • 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです

 

経津主神ふつぬしのかみ|国譲りを迫り、葦原中国を平定したスゴイ神。日本神話をもとに経津主神を分かりやすく解説します。

経津主神とは?その名義

経津主神ふつぬしのかみ」= 魔をふっつり断ち切る主君たる神

『日本書紀』で登場し活躍する神。

『古事記』には登場しませんが、「建御雷之男神たけみかづちのをのかみ」の別名として「建布都神たけふつのかみ」「豊布都神とよふつのかみ」を伝えてます。

伊奘諾尊が、軻遇突智かぐつちを三段にった際に、剣の先から滴る血がほとばしって「磐筒男命いはつつのをのみこと」という神が誕生するのですが、『日本書紀』第五段〔一書6〕の中の別伝で、「磐筒男命」と「磐筒女命」の男女二神が現れます。そして、続く〔一書7〕でこの男女二神の子として「経津主神ふつぬしのかみ」を伝えてます。

「布都」は、「ふっつり」の擬声語。

神武東征神話では、剣の名を「韴霊」とし、その訓注に「ふつのみたま」とあります。また 「原本系玉篇」には「韴」は「断声」 とあり、 鏡の名にも「真経津まふつの鏡」 とあります。刀剣や鏡には、魔を断ち切る力があると信じられたと考えられます。

「主」は、「主人・主君たるお方」という意味の尊称。

ということで、

経津主神ふつぬしのかみ」=「魔をふっつり断ち切る」+「主人・主君たるお方」+「神」= 魔をふっつり断ち切る主君たる神

 

経津主神が登場する日本神話 経津主神誕生と系譜

経津主神ふつぬしのかみ」が登場するのは、『日本書紀』巻一(神代上)第五段〔一書7〕の神生み神話。

ですが、前段の〔一書6〕から続く系譜をつたえているため、まずは親である「磐筒男命いはつつのをのみこと」、あるいは別伝でいう「磐筒男命」と「磐筒女命」についてご紹介。

まずは、『日本書紀』第五段〔一書6〕。

遂に、帯びていた十握剣とつかのつるぎを抜き、軻遇突智かぐつちを三段にった。それぞれ化してその各部分が神と成った。 ~中略~ また、剣の先から滴る血がほとばしって神と成った。名付けて磐裂神いはさくのかみと言う。次に根裂神ねさくのかみ次に磐筒男命いはつつのをのみこと(一説には磐筒男命いはつつのをのみこと磐筒女命いはつつのめのみことと言う。)

遂抜所帶十握劒 斬軻遇突智爲三段 此各化成神也  ~中略~ 復劒鋒垂血 激越爲神 號曰磐裂神 次根裂神 次磐筒男命 一云 磐筒男命及磐筒女命 (引用:『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 〔一書6〕より)

ということで、

『日本書紀』では、伊奘諾尊が軻遇突智かぐつちを三段にった際に、剣の先から滴る血がほとばしって「磐筒男命いはつつのをのみこと」という神が誕生。さらに、〔一書6〕の中の別伝で、「磐筒男命」と「磐筒女命」の男女二神が現れたとしています。

そして、この〔一書6〕の別伝箇所を承けて、続く〔一書7〕では、磐筒男命と磐筒女命の男女二神の子として「経津主神ふつぬしのかみ」を伝えてます。

別の言い伝えではこう伝えている。軻遇突智を斬った時に、その血がほとばしり、天八十河中あまのやそのかはらにあった五百箇磐石いほついはむらを染めた。それによって神が化成した。名付けて磐裂神いはさくのかみと言う。次に根裂神ねさくのかみ次に磐筒男神いはつつのをのかみ、次に磐筒女神いはつつのめのかみ、この児、経津主神ふつぬしのかみ

又曰。斬軻遇突智時。其血激越、染於天八十河中所在五百箇磐石。而因化成神。号曰磐裂神。次根裂神。児磐筒男神。次磐筒女神。児経津主神。 (引用:『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 〔一書7〕より)

さらにさらに、

後段の第九段〔本伝〕でも改めて「経津主神ふつぬしのかみ」の系譜を伝えてます。

この後、高皇産霊たかみむすひ尊はさらに神々を招集して、葦原中國に遣わすべき者を選定した。皆は、「磐裂いはさく根裂ねさく神の子の磐筒男いはつつのを磐筒女いはつつのめが生んだ子、經津主ふつぬし神がよいでしょう。」と言った。 (引用:『日本書紀』巻第二(神代下)第九段〔本伝〕より)

ということで、

以上、3か所をまとめると、、

ということになります。

押さえておきたいのは、こうした「経津主神ふつぬしのかみ」の系譜を伝えている狙いであり、それは大きく2つあります。

  1. 日本神話史上初の「神殺しへの報復」という激烈さを強調し、強烈な神の誕生を印象付けること。
  2. ここで生まれた神は、後段での再登場へ向けた布石、学術用語でいう「わたり」として位置づけられる。

詳しくはコチラで、

第五段〔一書7、8〕

まず、

激しい悲痛やら恨みやら復讐やらの中から生まれる神は、その強烈さ劇的さ故に、超強力な神威を持ちます。スーパーゴッド誕生。

で、軻遇突智斬段のシーンとは、

  • 神が神を殺す。神を殺した神を、神が殺す(報復・復讐)
  • 子が親を殺す。親を殺した子を、親が殺す(報復・復讐)

と、重層的構造をもとにした骨肉相食む壮絶神イベント。コレは『古事記』も同様。

経津主神は、元を辿ればそういう強烈なシーンで誕生した神を祖として持つ。故に、非常に神威の強い神である。コレが言いたい訳です。

で、

なんでそんなに強くしようとしてるかっていうと、、

第九段の国譲り神話に繋げようとしてるから。

国譲りでは、「経津主神」と「武甕槌神」の二神が大己貴神に国譲りを迫ります。葦原中国を自ら平定した「大己貴神」にその国を譲れと言う訳ですから、並の神では太刀打ちできる訳が無い。

大己貴神と同等、もしくはそれ以上の神威を持つ神としてのバックグラウンドを設定するために、このシーンが選ばれてる訳です。

 

経津主神が登場する日本神話 経津主神の活躍

続けて、「経津主神ふつぬしのかみ」の活躍シーンをご紹介。

先ほど解説した通り、我らが「経津主神ふつぬしのかみ」が活躍するのは「国譲り神話」。「武甕槌神」とともに派遣され、葦原中国を自ら平定した「大己貴神」にその国を譲れと迫ります。

『日本書紀』巻二(神代下)第九段〔本伝〕より。

經津主ふつぬし神と武甕槌たけみかづち神の二神は、出雲國の五十田狭之小汀いたさのをばまに降って来て、十握劒とつかのつるぎを抜いて逆さに大地に突き立てると、その剣の切っ先にあぐらをかいて座り、大己貴神に問うて「高皇産霊尊が皇孫すめみまを降らせ、この国に君臨させようと思っている。そこで、まず我ら二神を遣わし、邪神を駆除はらい平定させることとなった。あなたの考えはどうだ、国を譲るか否か。」と言った。すると大己貴おほあなむち神は「我が子に尋ね、その後で返事をしましょう。」と答えた。この時、その子の事代主ことしろぬし神は、出雲國の三穂之碕みほのさきにいて魚釣りを楽しんでいた。――あるいは、鳥の狩りをしていたとも言う。

そこで、熊野諸手船くまののもろたふね<またの名は天鴿船あめのはとふね>に、使者の稲背脛いなせはぎを乗せて遣わした。そうして高皇産霊たかみむすひ尊のみことのり事代主ことしろぬし神に伝え、その返事を尋ねた。そのとき、事代主神は使者に、「今、天神あまつかみの御下問の勅がありました。我が父はお譲りするでしょう。私もまたそれと異なることはありません。」と言った。そこで、海中に幾重もの蒼柴籬あおふしかきを造り、船の舳先へさきを踏み傾けて退去した。使者はそういう次第で、戻ってこのことを報告すると、大己貴おほあなむち神は我が子の言葉をもって二柱の神に、「私が頼りにしていた子もすでに国を譲りました。そこで、私もまたお譲りしましょう。もし私が抵抗すれば、国内の諸神もきっと同じように抵抗するでしょう。今私がお譲りすれば、誰ひとりとして従わない者はいないでしょう。」と申し上げた。そして大己貴おほあなむち神は、かつてこの国を平定した時に用いた広矛ひろほこを二神に授け、「私はこの矛で、国の平定という功を成し遂げました。天孫あめみまがもしこの矛を用いて国を治めたならば、きっと天下は平安になるでしょう。今から私は、もも足らず八十隈やそくまでに隠れましょう。」と言って、言い終わるやとうとう隠れてしまった。

そして、二柱の神は帰順しない諸々の邪神たちを誅伐し、<一説には、二神はついに邪神や物を言う不気味な草・木・石の類を誅伐して、すっかり平定し終えた。唯一、従わない神は星神ほしのかみ香香背男かかせをだけであった。そこで倭文神しとりがみである建葉槌たけはつち命を遣わして服従させた。そして二神は天に昇ったと言う>、ついに報告に戻った。 引用:『日本書紀』巻二(神代下)第九段〔本伝〕より

さらに、

第九段の異伝である〔一書1〕でも同様に伝えてます。

そこで天照大神あまてらすおおかみはまた武甕槌たけみかづち神と經津主ふつぬし神とを遣わして、まずそこへ行き悪神どもを駆除させた。そのとき、二柱の神は出雲に降り着き、さっそく大己貴神に「汝はこの国を天神に献上するかどうか。」と尋ねた。すると、「我が子の事代主が鳥猟に行って、三津之碕みつのさきにいます。今、それに尋ねて返事をしましょう。」と答えた。そこで使者を遣わして訪問させた。すると、「天神の望まれるところであれば、どうして奉らないことがありましょう。」と答えた。そこで大己貴神はその子の言葉どおりに二柱の神に報告した。二神は天に昇って復命をして、「葦原中國はみなすっかり平定しました。」と報告した。そこで、天照大神あまてらすおおかみは勅を下して「もしそうであれば、今まさに我が子を降臨させよう。」と言った。 引用:『日本書紀』巻二(神代下)第九段〔一書1〕より

続けて、

同じく第九段の2つ目の異伝、〔一書2〕では、、

ある言い伝えには、天神は經津主ふつぬし神と武甕槌たけみかづち神とを遣わして葦原中國を平定させた。その時、二柱の神は、「天に悪神がいます。名を天津甕星あまつみかほし、またの名を天香香背男あめのかかせをと言います。どうかまずこの神を誅して、その後に降って葦原中國を平定しましょう。」と言った。この時、天津甕星あまつみかほしを誅するための斎主の神がおり、この神を斎之大人いはひのうしと言う。この神は今、東國あづまのくに楫取かとりの地に鎮座している。

そうして二柱の神は出雲の五十田狭之小汀いたさのをばまに天降ってきて、大己貴神に「おまえはこの国を天神に献上するかどうか。」と尋ねた。すると、「あなた方、二柱の神は、本当に私のもとに来られたのではないように思われる。だから、申し出を許すことはできない。」と答えた。そこで經津主神は天に還り昇って報告した。

その時、高皇産霊たかみむすひ尊は二神を出雲に戻し遣わして、大己貴神に勅して、「今お前が言うことを聞くと、深く通にかなっている。そこで、さらに条件を提示しよう。あなたが治めている現世の仕事は、我らの子孫が治めよう。あなた改めて一つ一つについて勅をしよう。そもそも、お前が治めている現世の政事は、我が皇孫が治めるのだ。お前は、幽界の神事をつかさどれ。また、おまえが住む天日隅宮あめのひすみのみやは、今、造営してやろう。千尋もある長い𣑥縄たくなわで、しっかり結んで百八十結びに造り、その宮を建てるのに、柱は高く太く、板は広く厚くしよう。また、御料田を提供しよう。また、おまえが往来して海で遊ぶ備えのために、高い橋や浮橋、天鳥船あめのとりふねも造ろう。また、天安河あめのやすのかはにも打橋を造ろう。また、繰り返し縫い合わせたじょうぶな白楯を造ろう。まら、お前の祭祀をつかさどる者は、天穂日あめのほひ命である。」と伝えた。そこで大己貴おほあなむち神は、「天神あまつかみの申し出は、かくも懇切である。どうして勅命に従わないことがありましょうか。私が治めている現世の政事のことは、今後は皇孫が治めさてください。私は退いて神事を司りましょう。」と答えた。そうして岐神ふなとのかみを二柱の神に推薦して、「この神が、私に代わって皇孫にお仕えするでしょう。私はここで退きましょう」と言って、瑞之八坂瓊みつのやさかにを身につけて永久とこしえに隠れた。

そこで經津主神は岐神ふなとのかみを国の先導役とし、周囲を巡りながら平定していった。反抗する者がいれば斬り殺し、帰順する者には褒美を与えた。この時に帰順した実力者が大物主おほものぬし神と事代主神である。そして八十萬神を天高市あめのたけちに集め、これらをひきいて天に昇り、その柔順に至ったことを示した。 引用:『日本書紀』巻二(神代下)第九段〔一書2〕より

ということで、

いずれも、

葦原中国を自ら平定した「大己貴神」にその国を譲れと迫り、さらに葦原中国を平定するという偉業を成し遂げています。その神威はやはり超絶。。。

 

経津主神を氏神とする氏族

経津主神ふつぬしのかみ」は藤原氏の氏神とされてます。

奈良時代の成立とみられる「春日祭」の祝詞には、「鹿嶋に坐す建御賀豆智命、香取に坐す伊波比主命、枚岡に坐す天之子八根命、比売神」の四柱を奈良の春日神社に祭るとあり、これが春日大社創建であり、藤原氏の氏神として位置づけられました。このうち、「伊波比主命」は「経津主神」のことで、もとは香取神宮(千葉県佐原市香取町)のご祭神。

一方で、時代をさかのぼって、、氏の奉斎神。鹿島神宮 (茨城県鹿島郡鹿島町)に祀られてます。

『古事記』で国譲り神話の最終的な成功者として建御雷神をすえているのは、中臣氏の伝承によるものと考えられます。

このことから、藤原氏が国譲りをさせた武神を氏神として独占したとする説があります。

 

経津主神が登場する日本神話の詳しい解説はコチラ!

 

経津主神をお祭りする神社はコチラ!

● 香取神宮:関東地方を中心として全国にある香取神社の総本社。茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社 。また、宮中の四方拝で遥拝される一社!

住所:千葉県香取市香取1697-1

● 春日大社:全国に約1,000社ある春日神社の総本社!奈良時代に鹿島神宮からいらっしゃいました!

住所:奈良県奈良市春日野町160

 

「ふつ」の名を社名にもつ神社で、『延喜式』神名帳記載は以下の通り

● 布都神社:伊予国桑村郡

住所:愛媛県西条市石延119

● 物部布都神社:壱岐島石田郡

住所:長崎県壱岐市郷ノ浦町田中触1045

● 建布都神社:阿波国阿波郡

住所:徳島県阿波市市場町市場郷社本

● 佐肆布都神社:壱岐島壱岐郡

住所:長崎県壱岐市勝本町北触999

● 石上布都之魂神社:備前国赤坂郡

住所:岡山県赤磐市石上1448

 

コチラも是非!日本神話の流れに沿って分かりやすくまとめてます!

日本神話の神様一覧|『古事記』をもとに日本神話に登場し活躍する神様を一覧にしてまとめ!

 

どこよりも分かりやすい日本神話解説シリーズはコチラ!

日本神話とは?多彩で豊かな神々の世界「日本神話」を分かりやすく解説!

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天地開闢
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ついでに日本の建国神話もチェック!

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これまでの「日本神話って分かりにくい。。。」といったイメージを払拭し、「日本神話ってオモシロい!」「こんなスゴイ神話が日本にあったんだ」と感じていただける内容を目指してます。
日本神話研究の第一人者である佛教大学名誉教授の榎本先生の監修もいただいているので情報の確かさは保証付き!文献に即して忠実に読み解きます。
豊かで多彩な日本神話の世界へ。是非一度、足を踏み入れてみてください。
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他
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