立磐神社は、宮崎県日向市の美々津にあります。
ココ、神武天皇が東征の船出をするとき航海安全の祈願した地として伝わる神社。
御祭神は、航海安全の神としてお馴染みの住吉三神です。
天下統治するに相応しい地「中洲」を目指し無数の軍船を率いて大海原に漕ぎ出す、、、、もうコレだけでロマンがどこまでも広がります。
今回は、そんな東征航海の安全祈願スポット「立磐神社」の全貌を日本神話とあわせてご紹介します。
立磐神社|ご祭神は住吉三神!神武天皇が美々津から船出する時に航海安全を祈念!?立磐神社の見どころを分かりやすく解説!
目次
立磐神社を参拝する理由:日本の建国神話「神武東征神話」にちなむ神社だからこそ、日本神話をチェックしよう
まずは、立磐神社を参拝する理由をチェック。
それは、日本の建国神話「神武東征神話」にちなむ神社だから!!
具体的には、、
立磐神社は、神武天皇が船出にあたって航海の安全祈願をしたと伝わる地。
ということで、まずは、当サイトならでは、立磐神社に関連する日本神話をチェック。
なんですが、、、
実は、神武東征神話を伝える『日本書紀』や『古事記』には、そのことを伝える記述はありません。。。
参考として、『日本書紀』巻三(神武紀)から東征発議と旅立ちの箇所を抜粋してみます。
「さて、一方で塩土老翁 からはこんな話を聞いた。『東に、美しい土地があって、青く美しい山が四方を囲んでいる。そこに天磐船に乗って飛びその地に降りた者がいる。』と。 私が思うに、かの地は豊葦原瑞穂の国の平定と統治の偉業を大きく広げ、王の徳を天下のすみずみまで届けるのにふさわしい場所に違いない。きっとそこが天地四方の中心だろう。そこに飛んで降りた者とは「饒速日」という者ではないだろうか。私はそこへ行き都としたい。」
諸々の皇子は、「なるほど、建国の道理は明白です。我らも常々同じ想いを持っていました。さっそく実行すべきです。」と賛同した。この年は、太歳・甲寅(紀元前667年)であった。
その年の冬10月5日に、彦火火出見は、自ら諸皇子や水軍を率いて、東へ進発した。 (『日本書紀』巻三 神武紀より一部抜粋)
ということで、
『日本書紀』では、「自ら諸皇子や水軍を率いて、東へ進発した。」と伝えるのみで、安全祈願したとかしなかったとかというのは伝えてないんですね。
が!
どっかから出航しないと話が始まらない訳で、しかも、航海の安全祈願はそれはそれで重要事項!ということで、兎にも角にも神話ロマンを探しに現場へレッツゴーであります!
特に、
立磐神社で激しくチェックしていただきたいのは4つ!
①神武天皇御腰掛岩 神武天皇が腰かけた伝説の岩!座ってみたいけどそれはダメ!
▲「神武天皇御腰掛岩」は立磐神社境内、参詣道の右側にあります。岩そのものが御神体。玉垣を巡らしてあります。
②日本海軍発祥の地石碑 神武天皇がここから水軍を率いて出港した訳なので!
▲日本海軍発祥の地石碑は、立磐神社の境内外。耳川に面した広場にあります。注目は、石碑に小さく載ってる古代の船!これに乗って出港したのだろう!これがロマン!!
③神武天皇お舟出の歌伝説碑 超ローカル伝承だけど熱き想いは伝わってくる!
▲「神武天皇お舟出の歌伝説」碑。石碑土台に大きな花が刻印されてますがこれは「万年青(オモト)」。日本原産の多年草。歌は「日の草の 赤が美栄えて とことわに 瑞穂の国は 栄えまつらむ」とのことで、、、そんな記録は『日本書紀』『古事記』にもございません。。ですが、熱き想いは伝わってくる!!
④御祭神は住吉三神!やっぱり航海安全は今も神武も住吉さん!!
立磐神社の御祭神は、底筒男命、中筒男命、表筒男命、神武天皇。
特に、底筒男命、中筒男命、表筒男命は住吉三神であり、航海安全を司る超絶重要神。やはり、航海安全といえば、今も昔も、神武天皇も住吉さん!立磐神社で何故お祭りされてるのか?も全ては東征出港にあたっての航海安全祈願が根拠。
以上、立磐神社にまつわる日本神話と、見どころ4つ!
- 神武天皇御腰掛岩 神武天皇が腰かけた伝説の岩!座ってみたいけどそれはダメ!
- 日本海軍発祥の地石碑 神武天皇がここから水軍を率いて出港した訳なので!
- 神武天皇お舟出の歌伝説碑 超ローカル伝承だけど熱き想いは伝わってくる!
- 御祭神は住吉三神!やっぱり航海安全は今も神武も住吉さん!!
しっかりチェックした上で、現場にゴー!!!
立磐神社の場所:宮崎県日向市の美々津!なぜココから出港したのか?神話ロマンの翼を広げてみよう!
立磐神社は、宮崎県日向市の美々津ににあります。
住所は、〒889-1111 宮崎県日向市美々津町3419
美々津は「お舟出の地」として街をあげて盛り上げ中。
日向市の南部に位置する美々津は、古くから海の交易拠点として歴史を刻み、周辺地域にある遺跡からは、畿内、瀬戸内様式の弥生土器が出土しています。これらのことが、美々津が相当古い時代から外地との交流があったということを裏付けています。
港町としての歴史は、同時に日向神話の舞台としての美々津を物語ります。地域に神武東征のお舟出伝説として伝わる話によると、初代天皇となる神武天皇は大和の国へ東征する際に、美々津を出港の地として定め、その地で造船し旅立ったといわれています。
伝説によると、お舟出が予定より一日早まったために、人々は天皇の衣のほころびを立ったまま縫い、用意していたお餅の材料を搗きまぜたものを捧げました。これらの故事は、現在も美々津の地名「立縫」や、郷土菓子「つきいれ餅(お舟出だんご)」として伝わっています。
古事記や日本書紀にも描かれる「神武東征」。日本の歴史は美々津の港から始まりました。
日向市商工観光部 観光交流課HP(https://www.hyugacity.jp/sp/display.php?cont=160616114426)より引用
ということで。
「日本の歴史は美々津の港から始まりました。」て言うけど、歴史が始まったのは橿原だろとツッコミたくなる気持ちはクールに抑えつつ、美々津周辺の様子がコチラ。
▲美々津は、古くから海の交易拠点として歴史を刻んできた通り、宿場町的な雰囲気が漂ってます。
当サイト的には、なぜ神武天皇がここ美々津から出港したのか?その理由を、神話ロマンと合わせて探っていただきたいです。古くから海の交易拠点として位置づけられてきたこともあるのか、、、?
ちなみに、、神武天皇一行は、美々津に来る前にいろんなところを立ち寄ってたようです。
▲東征発議をしたのが、宮崎県宮崎市にある皇宮神社(皇宮屋)とされてます。そこから、陸路で美々津に向かった、、ということになります。途中、お風呂に入ったりしてたみたいですが、、、
神武天皇の一行は大船団だったはずで、、船の建造には、ココ美々津が適していたからなのか、、、そんなロマンと合わせて現場をチェックされてください。
立磐神社の創建経緯:景行天皇代に創祀!島津藩主の崇敬もありつつ、転機はやっぱり昭和15年の皇紀二千六百年祭!
第十二代景行天皇の御代に創祀されたと伝わります。
1578年(天正6年)、大友氏と島津氏との戦により、宝物や文献記録等が全て消失。
1623年(元和9年)に再興され、1700年頃には元通りに。歴代島津藩主の崇敬もあり、社殿増築や神領もあったとか。
1871年(明治4年)、郷社に列格。
1940年(昭和15年)には、皇紀二千六百年祭の一環として当地でも盛大なお祭りが行われたようです。
当社記念事業としては
(1)境内を更に拡張整備
(2)竜神バエの岩上に住吉灯籠を摸した神のみあかし灯台を設置
(3)日本海軍発祥の地の記念碑が建立
(4)おきよ丸御東行巡路漕舟大航軍を挙行
などなど。。
まとめると、景行天皇代に創祀され、島津藩主の崇敬もありつつ、転機はやっぱり昭和15年の皇紀二千六百年祭!
特に、立磐神社の見どころである「日本海軍発祥の地」記念碑は、今でも神社入り口のところにドーンと立ってます。
立磐神社の境内:神武天皇に関連するスポットを中心に神話ロマンに想いを馳せながら参拝しよう!
ココからは立磐神社の境内の様子をご紹介。
改めて、立磐神社の見どころ4つを確認。
- 神武天皇御腰掛岩 神武天皇が腰かけた伝説の岩!座ってみたいけどそれはダメ!
- 日本海軍発祥の地石碑 神武天皇がここから水軍を率いて出港した訳なので!
- 神武天皇お舟出の歌伝説碑 超ローカル伝承だけど熱き想いは伝わってくる!
- 御祭神は住吉三神!やっぱり航海安全は今も神武も住吉さん!!
神話ロマンと合わせて、立磐神社の境内をチェックです。
▲立磐神社入り口の様子。耳川の河口付近、川沿いにあります。
鳥居をくぐって参詣道を進むと、、、右手に、、、
▲これが立磐神社の見どころ、その①!「神武天皇御腰掛岩」!!!岩そのものが御神体とされており、玉垣を巡らしてあります。
ココに神武天皇が腰かけた、、、訳で。座りたくなるけどダメ!コレはこれでロマンが広がる。。。
▲手水舎。綺麗にしてあります。
そして、、立磐神社の参詣道の左手に、巨大な石碑が建ってます。
▲立磐神社の見どころその②!!「神武天皇お舟出の歌伝説」碑。石碑土台に大きな花が刻印されてますがこれは「万年青(オモト)」。日本原産の多年草です。
神武天皇お舟出の歌伝説
日の草の 赤が美栄えて とことわに 瑞穂の国は 栄えまつらむ
日本おもと愛好者建之
とのことで、。。どうやら、神武天皇はお舟出にあたって、歌を詠まれたようです。。
左側には案内板もあり。以下内容が記載されてました。
神武天皇が大和の国御討征のため、美々津港舟出の際の歌、
日の草の赤が美栄えてとことわに 瑞穂の国は栄えまつらむ
神武天皇自ら「おもと」を鑑賞され、おもとの雄大な葉緑素の強い葉姿のおもとが大地にへばりついた根元に赤い実栄え横には数限りない繁殖したおもとの姿を観て、我が瑞穂の国をおもとに託された歌と思われます。其の後、江戸時代以降も現在に至るまで、新築、移転、誕生祝いなどに、おもとのもつ生命力にあやかって、飾ったり、贈られたりしています。
とのことで。
いや、、もうこれは『日本書紀』にも『古事記』にも記載されてないローカル伝承としてステキな感じです。
さらに進むと、、、
見えてきました!立磐神社の本殿!!!
▲本殿手前左手にある「楠の木(市の保存樹指定)」。樹齢300年とも400年とも言われている古木。木の肌に触れ、生命のいぶき・パワーを感じていただける仕上がりになっております。
赤い鳥居が納められている洞があるのですが、昔は子どもが中に入って遊べるほど大きかったのですが、楠の木の成長に合わせて小さくなったそうです。
▲令和元年から開始された立磐神社の御社殿改修工事。令和四年九月には工事完了しております。
御祭神:底筒男命、中筒男命、表筒男命、神武天皇
特に、底筒男命、中筒男命、表筒男命は住吉三神であり、航海安全を司る超絶重要神。
やはり、航海安全といえば、今も昔も、神武天皇も住吉さん!立磐神社で何故お祭りされてるのか?も全ては東征出港にあたっての航海安全祈願が根拠になってます。
その他、立磐神社の見どころとしてチェックしたいのは、海軍発祥の地記念碑!!!!
▲立磐神社入り口手前の川沿いに広場がありまして。。ココも一応、立磐神社の境内とのことです。
ココに、、、
▲日本海軍発祥の地!記念碑。
神武天皇がココ美々津より出港したことを根拠に、これこそが日本海軍の始めである、ということで、皇紀二千六百年(昭和15年)、宮崎県奉祝記念事業として、立磐神社境内に建立されました。
碑の設計は八紘基柱の設計者日名子実三さん、波涛をイメージしてるようです。題字は元内閣総理大臣・海軍大将米内光政氏の揮毫であります。
▲古代の兵船を象った船形埴輪の模像が配置してございます。これに乗って神武天皇が、、、ロマンだ!!!
▲巨大な錨もあり。
その他、、、
▲耳川の「美々津渡し場」の碑。高瀬舟終着場の跡地。
▲立磐神社から海側を望む。安全祈願した後は、ココから出港したのか、、、ロマンはどこまでも広がります。
ちなみに、、、
実際の出港地はコチラと伝わっておりますので、合わせてチェック。
▲耳川の様子。のんびりした漁港です。。しばしゆっくりとした時間を過ごす。。。
立磐神社 まとめ
立磐神社
宮崎県日向市の美々津にあり、神武天皇が東征の船出をするとき航海安全の祈願した地として伝わる神社です。
御祭神は、航海安全の神としてお馴染みの住吉三神。
天下統治するに相応しい地「中洲」を目指し無数の軍船を率いて大海原に漕ぎ出す、、、、もうコレだけでロマンがどこまでも広がります。
立磐神社の見どころ4つ!
- 神武天皇御腰掛岩 神武天皇が腰かけた伝説の岩!座ってみたいけどそれはダメ!
- 日本海軍発祥の地石碑 神武天皇がここから水軍を率いて出港した訳なので!
- 神武天皇お舟出の歌伝説碑 超ローカル伝承だけど熱き想いは伝わってくる!
- 御祭神は住吉三神!やっぱり航海安全は今も神武も住吉さん!!
しっかりチェックした上で、参拝されてください。
住所 | 宮崎県日向市美々津町3419 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし(近くに、村営のトイレがあります) |
HP | https://www.tateiwajinja.jp/ |
御朱印について
愛宕神社近くの社務所にていただけます。
道順
①一つ目の鳥居を出で右折してください。雑貨&cafe民さん、 古民家居酒屋ひなた屋さんを通り過ぎます。
②400メートルほど直進です。
③左手にオレンジ色のカーブミラーが見えたら右折してください。
愛宕神社の大きな石段の下を通り過ぎます。空地、民家一軒を通り過ぎですぐ、『橋口氏庭園 立磐神社社務所』の看板があります。
④日産ノート、軽トラが基本停めてありますので、その脇を通って階段を上がってください。
※通常御朱印は直書きで対応致します。(留守の場合は書置きで対応させていただきます。予めご了承下さい (立磐神社HP(https://www.tateiwajinja.jp/)より引用)
さらに!
実際の出港地はコチラと伝わっておりますので、合わせて、必ずチェック!!!
立磐神社に関連する日本神話はコチラ!必読!!
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