椎根津彦(珍彦)とは?倭国造(倭直部)の祖!神武東征神話で文官として活躍した椎根津彦を分かりやすくまとめ!

 

椎根津彦しいねつひこ珍彦うづひこ)とはどんな人物だったのか?

正史『日本書紀にほんしょき』をもとに、最新の文献学的学術成果も取り入れながら、椎根津彦しいねつひこ珍彦うづひこ)の人物像をディープに解説します。

 

本記事の独自性

  • 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
  • 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
  • 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです

 

椎根津彦(珍彦)とは?倭国造(倭直部)の祖!神武東征神話で文官として活躍した椎根津彦を分かりやすくまとめ!

椎根津彦(珍彦)とは?

まずは、椎根津彦しいねつひこ珍彦うづひこ)とは?という、根本のところをサラッと解説。

椎根津彦しいねつひことは、日本の建国神話「神武東征神話じんむとうせいしんわ」で活躍した将軍。道臣命みちのおみのみことの武に対して、文を担当した智将。

もともとは「珍彦うづひこ」という名前でしたが、神武じんむ天皇との出会いから「椎根津彦しいねつひこ」という名をたまわり、海路の先導者として東征とうせいに同行。途中からは智将的な活躍をし、特に兄磯城えしき討伐のときは椎根津彦しいねつひこが建議した作戦によって勝利をおさめます。

また、神武じんむ天皇即位の翌年、東征とうせい論功行賞ろんこうこうしょうとして倭国造やまとのくにのみやつこという官職をたまわります。

尚、『古事記こじき』では「槁根津日子さをねつひこ」として登場。

その他、概要をまとめると以下の通り。

誕生年 不明
不明
不明
元の名 珍彦
出身 不明
主な活躍 ・海路の先導
・天香山の土採取
・兄磯城討伐
恩賞 倭国造やまとのくにのみやつこ
没年 不明

ま、東征とうせい途上で出会った国神くにつかみなので詳細なところはよー分からんのです。。

 

椎根津彦(珍彦)の活躍を伝える神武東征神話

続けて、椎根津彦しいねつひこ珍彦うづひこ)が何に、どこに登場するのか?基本的なところをチェック。

椎根津彦しいねつひこ珍彦うづひこ)の活躍を伝えるのは、『日本書紀にほんしょき』と『古事記こじき』。いずれも冒頭部分で日本神話にほんしんわを伝える日本最古の書物、歴史書です。神の時代からそのまま建国神話に流れ込むので、いろいろ神イベントが発生。

今回のエントリでは、日本の正史である『日本書紀にほんしょき』を中心にお届け。理由は、正史であること、多くの事蹟伝承が『日本書紀にほんしょき』をもとにしてること、『古事記こじき』はかなり端折られていて、しかも最後は歌を歌って終わり、、的な感じでどうなのよ?状態だからです。

日本書紀にほんしょき』、具体的には日本書紀にほんしょき』巻三をもとに椎根津彦しいねつひこ珍彦うづひこ)を深堀りすることで、椎根津彦しいねつひこ珍彦うづひこ)の全貌が見えてくることは間違いない!安心して読み進めてください。

ということで、椎根津彦しいねつひこ珍彦うづひこ)とはどんな人物だったのか?以下4つのポイントをまとめます。

  1. 海路の先導者!海を知り尽くした男
  2. 太公望たいこうぼうがモデル?智将となることを予定するような登場方法
  3. 敵陣をくぐり抜けミッションコンプリートする流石な智将
  4. 知略を駆使して圧倒的な敵をせん滅する智将

尚、日本書紀にほんしょき』巻三、「神武東征神話じんむとうせいしんわ」の概要はコチラでまとめてますのでチェックされてください。

 

椎根津彦(珍彦)とはどんな人物だったのか? 海路の先導者!海を知り尽くした男

まずは、「海路の先導者」としての椎根津彦しいねつひこ珍彦うづひこ)からお届け。海を知り尽くしたナイスガイ?

東征とうせいに出発した神武じんむ天皇一行。最初の通過ポイント、現在の豊予ほうよ海峡である「速吸之門はやすいなのと」に到ります。ココで珍彦うづひこ、のちの椎根津彦しいねつひこと出会う訳です。

速吸之門はやすいなのとに到る。

この時、一人の漁人つりびとが小舟に乗ってやって来た。彦火火出見ほほでみ(神武天皇)はその者を招き、「お前は誰か」と問うた。その者が答えて、「私は国神くにつかみです。名を『珍彦うづひこ』と言います。湾曲した入江で魚を釣っています。天神子あまつかみこが来ると聞き、それですぐにお迎えに参りました。」と言った。

火火出見ほほでみが「おまえは私を先導することができるのか?」と問うたところ、「先導いたします。」と答えた。そこで彦火火出見ほほでみは詔をくだし、その漁師に「椎の木の竿の先」を授けて執らせ、そして舟に引き入れ「海路の先導者」としたうえで、特別に「椎根津彦しいねつひこ」という名前を下された。(これが「倭直部やまとのあたいら」の始祖である。) (『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)

漁人(釣り人)「珍彦うづひこ」は、神武じんむ東征とうせいを聞き出迎えたと言い、神武じんむを先導することを申し出る。そこで天皇は珍彦うづひこを海路の先導者として「椎根津彦しいねつひこ」の名を与えた次第。

ポイント2つ。

  1. 日本神話にほんしんわ的には「速吸はやすいの門」は潮の流れが急な難所。だからこそ、海を知り尽くす珍彦うづひこは危険を察知して迎えに来た。
  2. 一方で、お出迎え対応は、尊貴な「天神子あまつかみこ」に対する国神くにつかみとして当然の対応、という側面も。。

一つ目。

日本神話にほんしんわ的には「速吸はやすいの門」は潮の流れが急な難所。だからこそ、海を知り尽くす珍彦うづひこは危険を察知して迎えに来た。

速吸之門はやすいなのと」の「門」は関門かんもんのことで、海峡。で、実は、日本神話にほんしんわ的には「速吸はやすいの門」は、潮の流れが急な難所として位置づけられてるんです。

コチラ、実は神代じんだいにすでに登場。伊奘諾尊いざなきのみこと禊祓みそぎはらえのシーン。

このけがれを濯ぎ払おうと思い、すぐに粟門あわのと速吸名門はやすいなとを見に行った。しかしこの二つの海峡は潮の流れが非常に速かった。(『日本書紀』第五段〔一書10〕より抜粋)

『日本書紀』第五段

黄泉よみけがれを濯ごうと速吸名門はやすいなとに行ったけど、潮の流れが速すぎて洗えませんでした・・・の巻。

神の時代から、超速だったようで、、

珍彦うづひこは「国神くにつかみ」であり、土地の土着神。てことは、どこを通ればいいか、どこが危ないかなどよく分かってて、、海を知り尽くすシーガイ珍彦うづひことして、超速海峡の危険を回避できるよう出迎えた訳です。

神話の時代はこのように、主人公が初めての土地を訪れる場合には、道案内人が登場します。一種の「お約束」というか、パターンの一つ。

「先導いたします。」と答えた。」とあるように、珍彦うづひこの先導により、大船団だった神武じんむ一行は難所をくぐり抜けることができた次第。

次!

②一方で、お出迎え対応は、尊貴な「天神子あまつかみこ」に対する国神くにつかみとして当然の対応、という側面も。。

珍彦うづひこの、「天神子あまつかみこが来ると聞き、それですぐにお迎えに参りました」という発言。これ、結構重要な要素を含んでいて。。

天神子あまつかみこ」という言葉。原文では「天神子」ですが、実は、東征とうせい神話の中では、神武じんむ天皇にだけ設定されてる特別な言葉だったりします。

明確に使い分けが分かるのは、東征とうせい神話のクライマックス、長髄彦ながすねひことの最終決戦。その最後のところ。

『日本書紀』神武紀

ココでは、東征とうせいより遥か昔、大和やまとの地に天から飛び降りた饒速日命にぎはやひのみことのことは、「天神之子あまつかみのこ」と表記。

「之」という言葉が入るか入らないかだけの違いで、、

  • 天神子あまつかみこ」は、天照大神あまてらすおおかみの直系の子孫
  • 天神あまつかみの子」は高天原たかあまのはらに多くいる天神あまつかみの子孫

同じ「天神あまつかみ」の「子」なのですが、「天神子あまつかみこ」と「天神あまつかみの子」は全然違うものとして。本文でも明確に使い分けられてる。「天神子あまつかみこ」は、それだけ尊い、ということが言いたい。なので、知れ渡る訳ですね。

コレも例えば、同じ神武東征神話じんむとうせいしんわの中でも、東征発議とうせいほつぎのシーンで、饒速日にぎはやひ天降あまくだりについて、神武じんむ塩土老翁しおつちのおじから聞いたとありました。これと同じように、「天神あまつかみ東征とうせい」も「珍彦うづひこ椎根津彦しいねつひこ)」は聞いていたことになる訳です。天神あまつかみクラスの動静は、下々の国神くにつかみの皆さんには知れ渡るようで、、、

こうした背景があるからこそ、「天神子あまつかみこが来ると聞き、それですぐにお迎えに参りました」といった発言になってる。もっと言うと、潮の流れが急な難所「速吸はやすいの門」にさしかかったところで「珍彦うづひこ椎根津彦しいねつひこ)」が登場したのも、危険を察知して出迎えるのは国神くにつかみとしての当然の対応、という話になるのです。

ま、よく言えば「珍彦うづひこ椎根津彦しいねつひこ)」流石、空気読めるナイスシーガイ、てことなんですが、一方では、天神あまつかみ国神くにつかみの絶対的なヒエラルキーみたいなものも感じられて、、

そうした背景や経緯もあり、神武じんむ天皇は「よく分かってるじゃないか」と。「椎の木の竿の先」を授け「海路の先導者」とし、さらに特別に「椎根津彦しいねつひこ」という名前を下された訳です。

まとめます。

  1. 日本神話にほんしんわ的には「速吸はやすいの門」は潮の流れが急な難所。だからこそ、海を知り尽くす珍彦うづひこは危険を察知して迎えに来た。
  2. 一方で、お出迎え対応は、尊貴な「天神子あまつかみこ」に対する国神くにつかみとして当然の対応、という側面もあったりす

ちなみに、、、

古事記こじき』では、同じシーンを以下のように伝えてます。

ゆえに、其の國からのぼりいらっしゃった時に、かめに乘ってつりをしながら、羽ばたくように袖を動かしてくる人と、速吸門はやすひのとで出会った。そこで、よせて「たれだ。」とおいになると、答へて「は、國つ神である。」と言った。又、お問いになるには、「汝は、海道うみぢを知っているか。」と問うたところ、「よく知っている。」と言った。又、「(私に)從ってつかへ申し上げないか。」と問うたところ、答へて「お仕え申し上げましょう。」と申し上げた。ゆえに、ここ槁機さを(棹)を指し渡して、其の御船みふねに引き入れて、すなはち名をたまいて槁根津日子さをねつひこと名付けた。此れは、倭國造やまとのくにのみやつこおやである。 (『古事記』中巻より一部抜粋)

ということで、

同じような釣り人設定、ですが! 『古事記こじき』版は亀の甲羅に乗って登場!!!羽ばたくように袖を動かしていたようで、リアルに想像してみると結構ウケる。。。

日本書紀にほんしょき』と同様、「海路の先導者」として位置づけられているのも共通ですね。

 

椎根津彦(珍彦)とはどんな人物だったのか? 太公望がモデル?智将となることを予定するような登場方法

続けて、一番重要なところ、椎根津彦しいねつひこが、実は太公望たいこうぼうと重ねられてる=智将として神武じんむを支える伏線、という話を。

先ほどの「速吸之門はやすいなのと」のシーンで、以下に注目。

この時、一人の漁人つりびとが小舟に乗ってやって来た。火火出見ほほでみはその者を招き、「お前は誰か」と問うた。その者が答えて、「私は国神くにつかみです。名を『珍彦うづひこ』と言います。湾曲した入江で魚を釣っています。天神子あまつかみこが来ると聞き、それですぐにお迎えに参りました。」と言った。 (『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)

東征順風・戦闘準備

「この時、一人の漁人つりびとが小舟に乗ってやって来た。」とか「湾曲した入江で魚を釣っています。」とか、やけに釣り推ししてますよね。この、

なぜ釣りなのか?

が、かなり重要で。単に、ヒマだったから、という訳ではありません。

実は、この、釣り人である珍彦うづひことの出会いは、古代中国ちゅうごくの「しゅう」建国における功臣「太公望たいこうぼう( 名は呂尚りょしょう)」の、文王ぶんおうとの出会いがベースになってるからなんです!

まず、太公望たいこうぼう文王ぶんおうとの出会い、コレ、めっちゃ有名なお話ですよね。

渭水いすいの浜に釣糸を垂れて世を避けていた太公望たいこうぼう。ところが、文王ぶんおうとの出会いによって、文王ぶんおうに用いられ、武王ぶおうを助けていんを滅ぼす、、、訳ですが、この出会い方と同じ設定。珍彦うづひこ太公望たいこうぼうも同じく、釣りをしている時に出会いがある。

神話構造論的にいうと、珍彦うづひこ椎根津彦しいねつひこ)を太公望たいこうぼうと同じ王を支える智将として位置付けようとした構造になってる。

で、コレ、もっと言うと、

珍彦うづひこ」=太公望たいこうぼう、てことは、神武じんむ文王ぶんおう、てことも狙いとしてある訳で。文王ぶんおうと言えば、有能な人材を登用し、徳治を実践した古代の理想的な王、聖人とされている訳で、それを神武じんむに重ねようとしてる、とも言えますよね。

このあたりも、非常に練りに練られた神話になってます。しっかりチェック。って、神話構造論に突入してしまいました。。

ま、珍彦うづひこ的にいうと、そういうのも分かった上で太公望たいこうぼうと同じになるように敢えて登場したってことですかね。。狙ってた??

まとめます。

  1. 釣り人である珍彦うづひことの出会いは、古代中国ちゅうごくの「しゅう」建国における功臣「太公望たいこうぼう( 名は呂尚りょしょう)」の、文王ぶんおうとの出会いがベースになってる。
  2. これは、珍彦うづひこ椎根津彦しいねつひこ)を太公望たいこうぼうと同じ王を支える智将として位置付けてるから。もっと言えば、「珍彦うづひこ」=太公望たいこうぼう神武じんむ文王ぶんおう、てことも狙いとしてあり、有能な人材を登用し、徳治を実践した古代の理想的な王、聖人を神武じんむに重ねようとしてる。コレ、神話構造論の話。
  3. 珍彦うづひこ的にいうと、そういうのも分かった上で、太公望たいこうぼうと同じになるように、同じような登場方法でやってきた?って、これも智将となるゆえの作戦、彼なりの狙いだったのかもしれない。。

次!

椎根津彦(珍彦)とはどんな人物だったのか? 敵陣をくぐり抜けミッションコンプリートする流石な智将

神武じんむ東征とうせい一行に加わった椎根津彦しいねつひこですが、次に登場するのは東征とうせい神話中盤以降になります。

現在の奈良なら宇陀うだに入った神武じんむ一行を待ち構えていたのは、国見丘くにみのおかを中心とする強大な敵。この危機的状況を突破するために、神武じんむ天皇は天神あまつかみの教えをいただく。そこで天神あまつかみが教えてくれたのは、天香山あまのかぐやまの土を取ってきてお祀りをしろと、、、そこで日本神話にほんしんわ史上初の偽装・カモフラージュ作戦が発動します。老夫婦の恰好をして敵陣をくぐり抜け、天香山あまのかぐやまの土を取ってこようとする。

そこで、椎根津彦しいねつひこにヨレヨレになった破れた衣服と蓑笠みのがさを着せて「老夫おきな」の姿を装わせた。また、弟猾にはみのを被らせ「老婆おみな」に姿を装わせた。そして、勅して言った。「お前たち二人は天香山まで行って、密かにその頂の土を取って戻って来るのだ。東征の大業が成就するか否かは、お前たちが土を取って来れるか否かで占うことにしよう。努めて慎重に行うように。」

この時、賊兵は香具山へ行く道にあふれていて行き来することが難しかった。そこで、椎根津彦はうけい をして言った。「我が君がまさしくこの国を平定することができるならば、行く道は自ら通れるだろう。もし平定できないのであれば、賊が必ず阻止するだろう。」 言い終ると直ちに天香山へ向かって行った。

その時、賊どもは、この二人を見て大いに笑い「なんと醜い、じじいとばばあだ。」と言って、みな道をあけて通らせた。二人は香具山にたどり着くことができ、土を取って帰って来た。 (『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)

神武東征神話 東征ルート

このカモフラージュ作戦では、椎根津彦しいねつひこ弟猾おとうかしの2名が活躍。椎根津彦しいねつひこ老夫おきなの恰好を、弟猾おとうかしには老婆おみなの恰好をさせて敵陣をくぐり抜けていった訳ですね。

作戦は見事成功。二人は、ミッション通り、天香山あまのかぐやまの土を取ってきた次第。それによって形勢は一気に逆転していくようになります。

さて、そんなシーンで我らが椎根津彦しいねつひこは、「椎根津彦はうけい をして言った。「我が君がまさしくこの国を平定することができるならば、行く道は自ら通れるだろう。もし平定できないのであれば、賊が必ず阻止するだろう。」 言い終ると直ちに天香山あまのかぐやまへ向かって行った。」とあるように、「うけい 」をしています。

コレ、最初に2択方式の宣言を行い、どちらかの結果によって神意を占うもの。重要な意思決定、行動をする「前」に行います。言い方を変えると、将来の実現可能性を一つ一つ確かめてる、ってこと。重要局面に登場。

椎根津彦しいねつひこも、このときばかりは、慎重に行動。うけいを行い、実現可能性を確かめながら進めてる。敵陣をくぐり抜けていこうとする訳で、並大抵のことではございません。一つ間違えば取り囲まれて殺されるし、主君たる神武じんむの建国の夢は潰える、、、大きな重圧、責任を背負って、それでも果敢に実行する椎根津彦しいねつひこ。。

賊どもは、この二人を見て大いに笑い「なんと醜い、じじいとばばあだ。」と言って、みな道をあけて通らせた。」とあり、椎根津彦しいねつひこのおのれを殺した必死の演技に、賊どもはみな騙されたようで。すばらしい演技力を発揮する椎根津彦しいねつひこ。このあたりも、智将ならでは。なりきるって結構むずかしいし、その意味で、演技は頭を使いますから、椎根津彦しいねつひこしかできなかった事かと。

まとめます。

  1. 天香山あまのかぐやまの土採取では、敵陣をくぐり抜けるという重大ミッションを果敢に遂行。その度胸、流石です。
  2. 一方で、うけいを行い、慎重に実現可能性を見極めようとしてる椎根津彦しいねつひこの姿もあり。
  3. 日本神話にほんしんわ史上初のカモフラージュ作戦は、椎根津彦しいねつひこの演技力により見事コンプリート。頭がキレる椎根津彦しいねつひこだからこそできた演技だったはず。

このあたりも、やはり、最初の登場でワイ太公望たいこうぼうってのが効いてるんじゃないでしょうか!?

次!

椎根津彦(珍彦)とはどんな人物だったのか? 知略を駆使して圧倒的な敵をせん滅する智将

続けて、椎根津彦しいねつひこの真骨頂? 知略を駆使し圧倒的な敵をせん滅する智将、椎根津彦しいねつひこ。をお届け。

国見丘くにみのおかの敵を無事討伐した神武じんむ一行、次に立ちはだかったのはボスキャラ「兄磯城えしき」を中心とする磐余いわれの敵。こちらも強大。

これを討伐するために、椎根津彦しいねつひこが知略を駆使して日本神話にほんしんわ史上初の陽動作戦を建議します。

その時、椎根津彦しいねつひこが計略をめぐらせて言った。「この上は、まず我が女軍めいくさを遣わして、忍坂の道から出陣させましょう。これを賊が見れば必ずや精鋭部隊を残らずそこに向かわせるはずです。私は、勇猛な兵を馬で走らせ直ちに墨坂を目指し、菟田川の水を取って墨坂に置く炭火に注ぎ火を消し不意をつけば、敵の敗北は間違いありません。」 

火火出見ほほでみはその計略を「し」とし、そこで女軍を出陣させて敵の動向をうかがった。果たして、賊は大軍がすでに押し寄せて来たと思い込み、全戦力を挙げて待ち受けた。 (『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)

神武東征神話 東征ルート
『日本書紀』神武紀

椎根津彦しいねつひこが建議した日本神話にほんしんわ史上初の陽動作戦。神武じんむ天皇も、これを良しとして実行、見事、強大な敵を打ち破ることに成功する次第。

椎根津彦しいねつひこが計略をめぐらせて言った。」とあるように、ココでは直接的な表現で「計略をめぐらした」と伝えてます。コレ、椎根津彦しいねつひこならでは。

計略の内容は陽動で。女軍めいくさ、つまりサブ部隊(力の弱い部隊)を先に派遣し引き付ける。その間に、墨坂すみさかに向かい、菟田川うだがわの水で墨坂すみさかに置く炭火を消し不意をつく!流石でござる椎根津彦しいねつひこ

まとめます。

  1. 兄磯城えしき討伐では、椎根津彦しいねつひこが計略をめぐらせて日本神話にほんしんわ史上初の挟み撃ち作戦を建議。
  2. 挟み撃ちの内容は、陽動。弱い軍隊を出して敵を引き付ける間に不意をついて一気にせん滅する知略を尽くした見事な作戦。このあたりも智将・椎根津彦しいねつひこならでは。

次!

おまけ:椎根津彦のその後

神武じんむ東征とうせいにおいて多大なる功績をあげた我らが椎根津彦しいねつひこ。建国の翌年、神武じんむ天皇より直々に褒賞をいただいておられます。

そして、珍彦うづひこ倭国造やまとのくにのみやつことされた。 (『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)

『日本書紀』 巻第三(神武紀)

ということで、

東征とうせいで功績のあった者に対して褒章を与える、論功行賞ろんこうこうしょう。本文「いさおしを定めたまものを行う(定功行賞)」。

我らが椎根津彦しいねつひこは、「倭国造やまとのくにのみやつこ」という官職をゲット。コレ、かなり破格の恩賞で。倭国は、後世の「大倭国やまとのくに大和国やまとのくに)」。要は現在の奈良なら県に相当する領域。国の中心地となる場所を与えた訳なんで、珍彦うづひこ椎根津彦しいねつひこへの恩賞の大きさが伺えます。確かに、あの日、あの時、あの場所で君に出会わなかったら~♪

東征順風・戦闘準備

東征とうせいは成しえなかったことは間違いない!ありがとう!

ちなみに、東征とうせいにおいて「武」担当の道臣命みちのおみのみことはじめ大来米おおくめの皆さんは、橿原宮かしはらのみやの近くに配置し、天子、都の警備・警護を。「文」担当の珍彦うづひこ椎根津彦しいねつひこは政治の中心を担当させてます。分担がしっかり効いてることも合わせてチェック。

 

まとめ

椎根津彦(珍彦)とは?

日本書紀にほんしょき』巻三をもとに椎根津彦しいねつひこ珍彦うづひこ)をディープに解説してきましたが、いかがでしたでしょうか?

改めて、ポイントを列挙すると以下の通り。

  1. 初めての出会いは「速吸はやすいの門」。ココは潮の流れが急な難所。だからこそ、海を知り尽くす珍彦は危険を察知して迎えに来た。
  2. 一方で、お出迎え対応は、尊貴な「天神子あまつかみこ」に対する国神くにつかみとして当然の対応、という側面もあったりする。上下関係を大事にする組織人?
  3. 釣り人であった珍彦うづひこは、太公望たいこうぼうと同じになるように、同じような設定で登場してきた?って、これも智将となるゆえの作戦、彼なりの狙いだったのかもしれない。。
  4. 天香山あまのかぐやまの土採取では、敵陣をくぐり抜けるという重大ミッションを果敢に遂行。その度胸、流石です。
  5. 一方で、うけいを行い、慎重に実現可能性を見極めようとしてる椎根津彦しいねつひこの姿もあり。
  6. 日本神話にほんしんわ史上初のカモフラージュ作戦は、椎根津彦しいねつひこの演技力により見事コンプリート。敵をあざむけたのは、頭がキレる椎根津彦しいねつひこだからこそできた。
  7. 兄磯城えしき討伐では、椎根津彦しいねつひこが計略をめぐらせて日本神話にほんしんわ史上初の挟み撃ち作戦を建議。
  8. 挟み撃ちの内容は、陽動。弱い軍隊を出して敵を引き付ける間に、不意をついて一気にせん滅する内容。知略を尽くした見事な作戦で、これも智将・椎根津彦しいねつひこならでは。

ということで、

たしかにこう見てくると、なかなかスゴイ智将であります。「倭国造やまとのくにのみやつこ」という官職を得たのも納得ですよね。

 

椎根津彦をお祭りする神社はコチラ!

〇 椎根津彦神社

〒879-2201 大分県大分市佐賀関1812

 

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