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神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ
日本神話.comでは、天地開闢から橿原即位までを「日本神話」として定義。東征神話は、その中で最大のクライマックスを彩るアツく奥ゆかしい建国神話であります。
言うと、
これを知らずして日本も神話も語れない!m9( ゚Д゚) ドーン!
ということで、今回は17回目。
3回にわたってお伝えしてきた「兄磯城(えしき)討伐と磐余(いわれ)制圧」の最終回。
前回確認した、重要ポイント。
- 兄磯城に勝利することで大和の東側全体の制圧が完了したこと。
- その上で、最大の敵、長髄彦(ながすねびこ)との最終決戦へ挑む流れであること。
を念頭に、今回のエントリでは「神武の成長」や「物語の多重構造」に光を当てたいと思います。
ということで、
- 兄磯城討伐・磐余制圧の神話が伝える意味とは?
今回も課題をもって読み進めていきましょう。
兄磯城討伐・磐余制圧|戦う前に意思確認?臣下献策まま実行?それはきっと神武の成長と分かってきた感覚の件
前回、前々回の内容はコチラでご確認ください。
場所とルートの確認
前回確認したとおり、このような展開です。
- まず、力の劣る女軍(めいくさ、弱小雑兵部隊)を進軍させ、敵主力部隊をおびき寄せる。
- 次に、男軍(おいくさ、精鋭機動部隊)を派遣し、墨坂の火を消す。戦意を喪失させる。
- その流れで、男軍は墨坂を越え敵の背後から攻撃し、先発の女軍と挟み撃ちで殲滅する。
特に、挟み撃ち部分、より詳細にみると、、、

という感じです。外山(とび)から忍坂(おっさか)周辺で兄磯城を殲滅したものと思われます。
高倉山で敵だらけ(八十梟帥(やそたける=たくさんの屈強な戦士))の状況が判明したとき、その敵は主に2種類あった訳です。
- 山間部の八十梟帥・・・名前なし
- 平野部の八十梟帥・・・名前あり(兄磯城)
で、
山間部八十梟帥は、一気に「武力」で殲滅します。山の敵は文化レベルが低いという感じ。超上からですが、、、汗。なので、「武」の戦略。担当は、将軍「道臣(みちのおみ)」であります。
一方、平野部八十梟帥(磯城彦(しきひこ))は、武力は最後まで使いません。まず使者を派遣し降伏勧告から。平野の敵は文化レベルが高いから「文」の戦略、なので「椎根津彦(しいねつひこ)」が担当します。
ということで、以下本文は、上記位置関係や、山と平野、武と文という対比構造をもとに読み進めると面白いと思います。
神武東征神話 本文
11月7日[1]に、東征軍は大挙して「磯城彦(しきひこ)[2]」を攻撃しようとした。
先ず、使者を派遣して「兄磯城(えしき)」を呼び寄せた。ところが兄磯城はその命に従わない。そこで、今度は頭八腿烏(やたがらす)を派遣して呼び寄せた。
烏は兄磯城の軍営に到り、このように鳴いた。
天神の子[3]が、お前に参上せよと言っている。さあ、さあ(招きに応じよ)。
兄磯城は、これを聞いて激怒し、
天圧神(あまおすのかみ)[4]が来たと聞き、今まさに憤慨している時に、どうして烏めがこんな風に嫌な鳴き方をするのか。
と言い、弓を引きしぼって烏めがけて射た。烏はたちまちに逃げ去った。
次に、頭八咫烏は「弟磯城(おとしき)」の家にやってきて鳴いた。
天神の御子が、お前に参上せよと言っている。さあ、さあ。
この時、弟磯城は恐れ畏まって言った。
臣である私は、天圧神がやってくると聞き、朝に晩に大変かしこまっておりました。とても素晴らしいことだ、烏よ。お前がこんな風に鳴くとは!
さっそく葉盤(ひらで)[5]八枚を作って、食べ物を盛って使者の烏を饗応した。
そして、烏に従って彦火火出見の軍営に到り告げて言った。
私の兄の兄磯城が、天神の子が来たと聞き、八十梟帥を集め武器を準備して、決戦を挑もうとしている。早急に対応を練った方がいいでしょう。
彦火火出見は、そこで諸将を集め問うた。
今、兄磯城にはやはり逆賊の意がある。召しても来ない。どうしたらいいだろうか。
諸将は、このように答えた。
兄磯城は悪がしこい賊です。まず弟磯城を派遣してしっかりと諭し、併せて兄倉下と弟倉下の兄弟も説得させたらよろしいかと存じます。もしそれでも帰順しないようであれば、その後に兵を挙げて攻めても遅くはありません。
そこで弟磯城を兄のもとに遣わし、利害を明らかに示して分からせようとした。
しかしながら、兄磯城はなお愚かな謀(はかりごと)に固執し、どうしても承服しない。
その時、「椎根津彦(しいねつひこ)」が計略をめぐらせて言った。
この上は、まず我が女軍(めいくさ)[6]を遣わして、忍坂の道から出陣させましょう。これを賊が見れば必ず精鋭部隊を残らずそちらに向かわせるはずです。私は潜兵を駆使して直ちに墨坂を目指し、菟田川の水を取って八十梟帥が墨坂に置く炭火に注ぎ、その火を消し不意をつけば、敵の敗北は間違いありません。
彦火火出見はその計略を「良し」とし、そこで女軍を出陣させて敵の動向をうかがった。
果たして賊は大軍がすでに押し寄せて来たと思い込み、全力を挙げて待ち受けた。
ところで、これより前のことであるが、東征軍は攻めては必ず敵の陣地を取り、戦っては必ず勝利してきた。しかし兵士たちは、疲弊しないわけではなかった。
こうした経緯もあり、彦火火出見は「御歌(みうた)」を作って、将兵の心を慰撫した。
楯並めて[7] 伊那瑳の山の 木の間ゆも い行き見守らひ 戦えば 我はや飢ぬ
たたなめて いなさのやまの このまゆも いゆきまもらひ たたかへば われはやゑぬ
島つ鳥 鵜飼が伴 今助けに来ね
しまつとり うかひがとも いますけにこね
→ 宇陀の伊那佐山から転戦してきて、もう私は腹が減ったよ。鵜飼(うかい)のものども[8]よ、うまい鮎[9]をさし入れてくれ。そしたら兵士たちと一緒に食べてしばし休息でもしよう!
このように戦意を鼓舞した上で、ついに男軍(おいくさ・強兵)を率いて墨坂を越え、先に出陣させた女軍と後方から挟み撃ちにして賊を破り、その首領の兄磯城らを斬り殺した。
注釈
[1]十一月、癸亥(みずのとい)が朔にあたる己巳(つちのとみ)
[2]兄弟を一括した呼称。配下に八十梟帥がいて、兄は天皇軍に抵抗し、弟は従順な態度を取る。兄弟譚の類型をふまえる。兄猾・弟猾の兄弟と同じパターン
[3]天照大神と高皇彦霊尊を意味する「天神」の「子」であることを表す。原文の「天神子」は「天神の子」とは違い、彦火火出見を特別に指す専用語。中国古代の「天子」に通じる。
[4]兄磯城が、「天神の子」を威圧する神として言い換えた表現
[5]神に捧げる神饌を盛る柏の葉を綴じた器
[6] 9月5日の条に、八十梟帥が女坂に女軍を置き、男坂に男軍を置いたと伝えるが、これに対応して力の弱い部隊を先に出陣させることを言う。(男軍:強力な精鋭部隊、女軍:力の劣る雑兵)
[7]枕詞で、楯を並べて射ることから、「伊那瑳の山」の「い」と「い行き守らひ」の「い」にかかる技巧的な表現
[8]八月に天皇が吉野を巡幸したときに出会った「苞苴担(にへもつ)」の子を阿太の養鵜部の始祖と伝える。「苞苴」は天皇に奉る「御饌(みけ)」のこと。
[9] 慰労が趣旨。さしもの武きもののふも、連戦連勝とはいえ疲弊した。これを慰労する歌。なので、疲弊した兵士たちに美味な鮎でも食べさせて慰労したいという意味。
原文
十有一月癸亥朔己巳、皇師大舉、將攻磯城彥。
先遣使者徵兄磯城、兄磯城不承命。更遺頭八咫烏召之、時烏到其營而鳴之曰「天神子召汝。怡奘過、怡奘過。」兄磯城忿之曰「聞天壓神至而吾爲慨憤時、奈何烏鳥若此惡鳴耶。」乃彎弓射之、烏卽避去。
次到弟磯城宅而鳴之曰「天神子召汝。怡奘過、怡奘過。」時弟磯城惵然改容曰「臣聞天壓神至、旦夕畏懼。善乎烏、汝鳴之若此者歟。」卽作葉盤八枚、盛食饗之。因以隨烏、詣到而告之曰「吾兄々磯城、聞天神子來、則聚八十梟帥、具兵甲、將與決戰。可早圖之。」
天皇乃會諸將、問之曰「今、兄磯城、果有逆賊之意、召亦不來。爲之奈何。」諸將曰「兄磯城、黠賊也。宜先遣弟磯城曉喩之幷說兄倉下・弟倉下。如遂不歸順、然後舉兵臨之、亦未晩也。」
乃使弟磯城、開示利害。而兄磯城等猶守愚謀、不肯承伏。
時、椎根津彥、計之曰「今者宜先遣我女軍、出自忍坂道。虜見之必盡鋭而赴。吾則駈馳勁卒、直指墨坂、取菟田川水、以灌其炭火、儵忽之間出其不意、則破之必也。」
天皇善其策、乃出女軍以臨之。虜謂大兵已至、畢力相待。先是、皇軍攻必取、戰必勝、而介胃之士、不無疲弊。故、聊爲御謠、以慰將卒之心焉、謠曰、
哆々奈梅弖 伊那瑳能椰摩能 虛能莽由毛 易喩耆摩毛羅毗 多多介陪麼 和例破椰隈怒 之摩途等利 宇介譬餓等茂 伊莽輸開珥虛禰
果以男軍越墨坂、從後夾擊破之、斬其梟帥兄磯城等。
『日本書紀』巻三 神武紀より
まとめ
「兄磯城(えしき)討伐と磐余(いわれ)制圧」
大和平野へ入っての戦いはこれまでの戦い方とはがらっと変わります。
- 山の敵(その他ゲリラ的な敵)は、有無を言わさず叩く。 例:戸辺、八十梟帥(国見丘や忍坂での戦い)。
- 平地の敵は、まず帰順勧告、意思確認。その上で従わないなら徹底的に叩く。 例:宇賀志の兄猾、磐余の兄磯城、
「山と平地」という大きな枠組み。
これは、「自然と文明」という対比でもあります。
従って、自然の中にいる良く分からない敵は徹底的に叩き、文明・文化の中にいる、つまり交渉相手足りえる敵に対しては相応の対応という形になっています。
実際、彦火火出見は平野に入って戦い方を大きく変えてました。
2度にわたって使者を派遣し、帰順勧告を行います。
- 頭八咫烏を使い帰順勧告 :天神子(あまつこ=彦火火出見)の召喚の命を伝達 →激怒し矢を射て追い返す
- 弟を使い帰順勧告 :利害を開示して説得 →愚謀を堅守し、聴き入れない
まず、相手の意思を確認する。そのうえで対応を決める。平地の相手だからこそおこなう「交渉」という訳です。
さらに、この「自然と文明」という対比構造を土台に、「彦火火出見の成長」というビフォー・アフター構造が重ねられています。
ビフォー:まだよく分かっていなかったころ。あのころは若かったねの頃。
孔舎衛坂の戦いで分かる通り、戦い方はとにかく突っ込むやり方です。敵や地形の情報を十分に持たず、部下の意見も聞くことなく、とにかく自分の思い先行で突っ込めば負けるのは必定ですよね。
アフター:いろいろ分かってきたこと。なんか最近大人になったねの頃。
兄猾討伐、兄磯城討伐、長髄彦討伐で分かる通り、まず意思確認から入ってます。その上で従わないので叩くという方式。また、部下の献策を戦術に採りいれるようになっています。自分だけでなく、相手の意思や部下の案といった情報を様々に加味しながら行動するようになっているのです。結果として負けることが無くなり、連戦連勝の展開へ。
単に、山と平地という対比構造で終わらせず、そこに神武の成長も重ね合わせる事で重層的な深みを持たせています。
さらに大きなところでは、天神(あまつかみ)サポートあり・無しというのもあるかと思います。
これは、進軍の方向・方角も関係する大きなスキーム。
当初は、西から東へ進軍していました。この時点では、「天神サポート(あまつかみさぽーと)」は一切ありません。ま、本人が必要を感じていなかったというのも大きいですが。
ところが、紀伊半島を迂回して東から西へ進軍するようになってから「天神サポート」が随所で登場します。荒坂での全軍昏倒、熊野山遭難、高倉山での絶望的状況、そして最後の長髄彦との決戦。
これは、正しい方向で、正しい事を実行すれば、おのずと天のサポートが付いてくる、ということでもありますね。
山と平地、神武の成長、東征(正しい事)への天神サポート。
単なる「敵征伐」の話ではなく、こうした重層的な構造をもって組まれている話なので、非常に深い。楽しみ方がいくつもあるというか。豊かというか。やっぱり東征神話、タダモノではありません。
いずれにしても、部下の適材適所の活躍の場の提供、的確な判断・指揮、兵士たちへの心配りなど、全てが彦火火出見の名将ぶりを際立たせています。まさに理想的な指導者として描かれているわけですね。それもこれも重大な試練を一つ一つを懸命に乗り越えるなかでようやく得た気づきと成長によるものだったと言えると思います。
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本記事監修:(一社)日本神話協会理事長、佛教大学名誉教授 榎本福寿氏
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)、他
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