橿原宮即位と東征完結|歴史はココから始まる。橿原宮で即位し世界最古の国「日本」をつくった件|分かる!神武東征神話 No.19

『日本書紀』 巻第三(神武紀)

 

多彩で豊かな日本神話にほんしんわの世界へようこそ!

正史『日本書紀』をもとに、
最新の文献学的学術成果も取り入れながら、どこよりも分かりやすい解説をお届けします。

「神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ」今回は19回目。

テーマは、

橿原宮即位と東征完結

辛酉かのととりの年(紀元前660年)春、正月1日、彦火火出見ほほでみはついに、天皇すめらみこととして即位し日本建国を果たします。

思い起こせば東征発議したのは6年前。多大な試練と苦難を経てついに、この日、東征は完結し、日本という国が建国されました。

私たちの暮らす日本という国の創始、はじまりが、今回お届けする内容で。めっちゃ重要なエントリ。

今回も、概要で全体像をつかみ、ポイント把握してから本文へ。最後に、解説をお届けしてまとめ。

現代の私たちにも多くの学びをもらえる内容。日本神話から学ぶ。日本の神髄がここにあります。それでは行ってみましょう!

 

本記事の独自性、ここにしか無い価値

  • 日本神話研究の第一人者である榎本先生監修。確かな学術成果に基づく記事です
  • 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
  • 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
  • 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです

 

橿原宮即位と東征完結|遂に東征完結。橿原宮で即位し、神日本磐余彦火火出見天皇と名乗った件

橿原宮即位と東征完結の概要

今回も『日本書紀』巻三(神武紀)をもとにお届け。前回の内容、これまでの経緯はコチラ↓をご確認ください。

『日本書紀』 巻第三(神武紀)

平定し、事蹟も残し、宮殿もつくり、嫁ももらった。すべての準備はこの日のために。

辛酉かのととりの年(紀元前660年)春、正月1日、彦火火出見ほほでみはついに、天皇すめらみこととして即位し日本建国を果たします。

火火出見ほほでみが、天皇すめらみこととして即位した日「辛酉かのととりの1月1日」は、新暦に直すと、今から 約2600年前 、紀元前660年2月11日。

この日、天日嗣あまつひつぎの大業が草創されました。天日嗣あまつひつぎ」とは皇位のこと。「大業」とは天神あまつかみがこの国を授けた徳に応え、統治を通じて正しきを養う御心を弘めること。

思い起こせば神代、天孫降臨にあたって天照大神が「天上無窮てんじょうむきゅう神勅しんちょく」を発動。

(天照大神は)皇孫に勅して、「葦原千五百秋之瑞穂國あしはらのちいほあきのみつほのくには、我が子孫が君主たるべき地である。汝、皇孫よ、行って治めなさい。さあ、行きなさい。宝祚あまつひつぎの栄えることは、天地とともに窮まることがないであろう。」と言った。 (『日本書紀』神代下第九段〔一書1〕)

ここで登場する「宝祚あまつひつぎ」が、今、「天日嗣あまつひつぎ」として結実。。。神代に設定された伏線が途方もない物語を経て回収される訳です。全てはこの日のために準備されていた。この壮大さに震えろ。

そして、これまでの経緯と建国ロジックもチェック。

  • 天照大神の直系子孫(=天孫)である神武が、
  • 瓊瓊杵尊ににぎのみことの子として位置づけるために、「彦火火出見ほほでみ」という名を名乗り、
  • 天照大神はじめ天神あまつかみが、この国を瓊瓊杵尊に授けた「徳」に対して応えるとともに、
  • 瓊瓊杵尊の目指した「正しきを養う」という心をひろめることを、自らの政治の理想とした。
  • そして、皇統こうとうの正統な後継者としての自覚に立ち、理想の政治の実現を目指した。

橿原即位に臨んだ神武天皇、その胸中には壮大なビジョンとゆるぎない決意があったのだと思います。ココ、最高の神話ロマン。

ちなみに、本文後半にある、「諷歌そえうた」「倒語さかしまごと」、これは、言霊ことだまの力によって災いや邪気を祓うという古代特有の考え方。

諷歌そえうたは、沿える歌、つまり、別のものに例えば言い換えることで、倒語さかしまごとはさかさま言葉的なもの。味方にだけに分かる暗号的な感じ。妖気を祓った、邪気を祓ったとあり、まさに「秘策」そのもの。

私たちも、結婚したり、家を建てたり、何かしら大事なタイミングで神社に行くときはお祓いをしてもらいますよね。それと同じような意味合いで、国全体を念頭にお祓いをしたのです。

この日、日本という国が始まり、歴史が始まりました。

そして、実はこれ以降、ずーっと日本は一つの国として継続。コレ、世界でも唯一無二。

最も古い歴史を持つ国、それが日本。本神話を通じて、この果てしない奥ゆかしさを、是非感じていただければと思います。

ということで、以下本文をチェックです。

 

橿原宮即位と東征完結の現代語訳と原文

辛酉かのととりの年(紀元前660年)春、正月1日、彦火火出見ほほでみ橿原宮かしはらのみやで帝位に即いた。この年を天皇すめらみことの元年とし、正妃を尊んで皇后きさきとした。皇后は皇子の神八井命かむやいのみこと神淳名川耳尊かむぬなかわみみのみことを生んだ。

そこで、古くからこのことを称えて「畝傍の橿原に、宮柱を大地の底の磐根に届くまでしっかりと立て、千木を高天原に届くまで高くそそり立たせて、初めて国を治めた天皇すめらみこと始馭天下之天皇はつくにしらすめらみこと)」と言い習わしているのである。この天皇を名付けて「神日本磐余彦火火出見天皇かむやまといわれびこほほでみのすめらみこと」と言う。

初めて、天皇が天日嗣あまつひつぎの大業を草創した日、大伴氏の遠祖である道臣命みちのおみのみことは、大来目部おおほくめらを率いて秘策を承り、諷歌そえうた倒語さかしまごとを巧みに用いて災いや邪気を全て払った。倒語さかしまごとが用いることは、ここに初めて起こったのである。

辛酉年春正月庚辰朔、天皇卽帝位於橿原宮、是歲爲天皇元年。尊正妃爲皇后、生皇子神八井命・神渟名川耳尊。

故古語稱之曰「於畝傍之橿原也、太立宮柱於底磐之根、峻峙搏風於高天之原、而始馭天下之天皇、號曰神日本磐余彥火々出見天皇焉。」

初、天皇草創天基之日也、大伴氏之遠祖道臣命、帥大來目部、奉承密策、能以諷歌倒語、掃蕩妖氣。倒語之用、始起乎茲。 (『日本書紀』巻三(神武紀)より抜粋)

橿原宮即位
▲橿原神宮で公開中の「神武天皇御一代記御絵巻」から。

 

橿原宮即位と東征完結の解説

この日、日本という国が創始されました。これ以降、日本はずーっと一つの国として継続、最も古い歴史を持つ国として唯一無二の存在になってます。この果てしない奥ゆかしさを、ロマンに想いを致しながら、、、

以下詳細解説。

  • 辛酉かのととりの年(紀元前660年)春、正月1日、彦火火出見ほほでみ橿原宮かしはらのみやで帝位に即いた。この年を天皇すめらみことの元年とし、正妃を尊んで皇后きさきとした。皇后は皇子の神八井命かむやいのみこと神淳名川耳尊かむぬなかわみみのみことを生んだ。
  • 辛酉年春正月庚辰朔、天皇卽帝位於橿原宮、是歲爲天皇元年。尊正妃爲皇后、生皇子神八井命・神渟名川耳尊。

辛酉かのととりの年(紀元前660年)春、正月「庚辰かのえたつ」のついたちは1日。

コレ、実は、年紀干支が最初に登場する東征発議が起点。についてはかなりディープな世界あり。概要としては以下エントリをチェック。

『日本書紀』 巻第三(神武紀)

ポイントは、

  • 甲 寅きのえとらで、東征発議を行った。甲 寅は、日本神話で最初にでてくる暦日。
  • 辛 酉かのととりで、橿原即位を行った。辛 酉は、革命がおこる年という考え方が古代にあり。

つまり、

  • 神武東征神話では、古代の暦日の考え方と運用方法をもとに、東征発議の年、東征開始の年に甲 寅きのえとらを設定し、
  • わざわざ「革命がおこる年」と考えられていた辛 酉かのととりの年に橿原即位を行った、という事。

このあたり、練りに練られた極めて奥ゆかしい神話になっております。

ちなみに、「辛 酉には革命がおこる」というのは「辛酉しんゆう革命説」と呼ばれるもので、『緯書」に伝えてます。コレ、孔子の作と伝えた偽書で、経書に付託して禍福かふく吉凶きっきょう符瑞ふずいの予言を記した書物。

日本で初めて国ができた日ですから、革命的な位置づけな訳ですね。ココ超重要事項としてチェック。

橿原宮かしはらのみやで帝位に即いた」とあります。この「橿原宮」の推定地にあるのが現在の橿原神宮

神武天皇と媛蹈韛五十鈴媛命たたらいすずひめのみことを祭ります。超重要スポット。

正妃を尊んで皇后きさきとした」とあり、コレ、前回エントリで解説した、「天皇」になってはじめて、その正妃を「皇后」とすることができる、というもの。

皇天こうてん」と「后土こうど」という、天と地の対応関係をもとに、「皇天」にちなむ「天子」に対して、その配偶者たる妃を「后」、つまり「皇后」と称する訳です。

尚、皇后が生んだ「神八井命かむやいのみこと」と「神淳名川耳尊かむぬなかわみみのみこと」のうち、「神淳名川耳尊かむぬなかわみみのみこと」が第二代天皇「綏靖すいぜい天皇」となります。神武天皇の没後、手研耳命たぎしみみのみことを討って綏靖元年に即位、都を葛城かつらぎ(奈良県御所市の南部)の高丘宮たかおかのみやに定めたとか、、、

次!

  • そこで、古くからこのことを称えて「畝傍の橿原に、宮柱を大地の底の磐根に届くまでしっかりと立て、千木を高天原に届くまで高くそそり立たせて、初めて国を治めた天皇すめらみこと始馭天下之天皇はつくにしらすめらみこと)」と言い習わしているのである。この天皇を名付けて「神日本磐余彦火火出見天皇かむやまといわれびこほほでみのすめらみこと」と言う。
  • 故古語稱之曰「於畝傍之橿原也、太立宮柱於底磐之根、峻峙搏風於高天之原、而始馭天下之天皇、號曰神日本磐余彥火々出見天皇焉。」

→改めて、「橿原」に込められた壮大な伏線回収をチェック。

思い起こせば、伊奘諾尊が禊祓をした聖地「筑紫日向小戸橘之檍原つくしのひむかのおどのたちばなのあはぎはら」で設定された伏線が、、、ココで、ついに、、回収された。。

筑紫日向小戸橘之檍原
  • 天照大神誕生の地=檍原
  • 神武天皇即位(誕生)の地=橿原

日本建国、天皇即位の地が「橿原」。そのルーツが「檍原」ってことで、これにより天皇即位の正統性や権威付けが強められるようになってます。

宮柱を大地の底の磐根に届くまでしっかりと立て、千木を高天原に届くまで高くそそり立たせて」とあります。コレ、宮を建てる際の慣用表現的なもので。

千木は神社とかの屋根に交差して突き出た部分。あれが高天原に届くまでそそり立ってる訳ですよ!この巨大さ、壮大さをビリビリ感じていただきたい!

そして即位した神武天皇。「初めて国を治めた天皇すめらみこと」ということで「始馭天下之天皇はつくにしらすめらみこと」としています。橿原の地は「はつくにの地」。是非チェックしていただきたい!

そして正式名称である「神日本磐余彦火火出見天皇かむやまといわれびこほほでみのすめらみこと」は事績伝承じせきでんしょうにちなむ名称。

『日本書紀』神武紀

さらに!コチラ、神武東征神話の冒頭でも登場してました。

神武東征神話1

今、こうして神武紀じんむきを読み進め、その建国プロセスやドラマを理解することで、最後にはら落ちするような仕掛けになってる訳ですね。細かいところに配慮が行き届いてます。

次!

  • 初めて、天皇が天日嗣あまつひつぎの大業を草創した日、大伴氏の遠祖である道臣命みちのおみのみことは、大来目部おおほくめらを率いて秘策を承り、諷歌そえうた倒語さかしまごとを巧みに用いて災いや邪気を全て払った。倒語さかしまごとが用いることは、ここに初めて起こったのである。
  • 初、天皇草創天基之日也、大伴氏之遠祖道臣命、帥大來目部、奉承密策、能以諷歌倒語、掃蕩妖氣。倒語之用、始起乎茲。

→スゴイ、、エンディング感をめっちゃ感じるこの頃、、、

天皇が天日嗣あまつひつぎの大業を草創した日(天皇草創天基之日)」とあります。「草創」とは、新しく始めること。『後漢書』列伝第三の李賢注に「草創は初始を謂ふなり」とあり。

「天基」は超重要ワード。国家統治を天神に授けられた事業としていう言葉。こちらも東征発議での伏線回収的意味合いあり。

東征発議と旅立ち

東征発議では神武自ら「昔、我が天神あまつかみである高皇産霊尊たかみむすひのみこと大日孁尊おおひるめのみことは、この豊葦原瑞穂国とよあしはらのみずほのくにのすべてを我が天祖である彦火瓊瓊杵尊ほのににぎのみことさずけた。」と語っておりました。なんなら神代の天孫降臨から引き継がれてる内容で。壮大すぎる継承ストーリー。「天基」はこうした背景をもとに使われてる訳です。

大伴氏の遠祖である道臣命みちのおみのみことは、大来目部おおほくめらを率いて秘策を承り、諷歌そえうた倒語さかしまごとを巧みに用いて災いや邪気を全て払った。」とあり。

諷歌そえうた」は、物事を直接に歌わずに、他のことに喩えて歌う歌。「諷」は、添える、なぞらえるの意味。

倒語さかしまごと」は、敵に悟られないように言い換えて、あるいは逆に用いる言葉。暗号みたいなものです。

いずれも、建国と即位に合わせ、災いや邪気を全て払うための秘術として使われてる訳です。

 

まとめ

橿原宮即位と東征完結

紀元前660年2月11日が神武天皇即位の日。

この日、日本という国が建てられ、歴史がはじまりました。

冒頭でも触れましたが、

これ以降、ずーっと日本は一つの国として継続しています。

現在、世界には190か国以上の国と地域がありますが、1つの国が2600年以上も続いているところは日本だけ。リアルに唯一無二のオンリーワン的存在です。

 

例えば、東征神話でもちょいちょい出てくるお隣の中国。

中国は革命の歴史であり、300年以上持ちこたえた王朝はありません。

例えば、ヨーロッパで最も歴史が古いイギリス。

初代国王のウィリアム一世が征服完了した1066年を起点とした場合でも、英国王室の歴史は900年前後です。

 

それに対して、2600年以上の歴史を持つ国。いえ、神話の時代から考えると、果てしない広がりが見えてくる訳で。

世界最古の歴史を持つ国、それが日本です。

そして、その日本という国を建てたのが神武天皇だという事。

このことを、私たちはもっと大切にすべきですし、誇りとするべきだと思います。

 

また、

神武の事蹟から学ぶ事も大事だと思います。

  • 彼がどのように考え、決断したのか?どのように行動したのか?

それらを考える事で、神武は神話上の人物だけでなくもっと身近な存在として思えるはずです。

是非、彼の足跡をたどってみてください。

顕彰碑や伝承地を辿る旅を通じて、東征神話を追体験できます。し、その中でいろいろ感じていただけるはずです。

旅自体が素晴らしいだけでなく、行く先々で出会う地域の皆さんとも触れあうことで、忘れられない思い出ができるはず。また、旅の途上で、ご自身なりの神話解釈を組み立てていっていただければと思います。

本やネットで読むのと、実際に体験するのとでは、その意味合いも全然違ってきますよ。

 

と、いうことで、結論として、

神武東征神話を知る、追体験する事で、ご自身なりの神話的解釈をつくっていっていただきたいですし、そのさきには、自分自身のアイデンティティや誇りといった所へと広げていっていただければと思います。

本シリーズが、そうしたことを考えるきっかけになれば、これほど嬉しい事はありません。

全25回に渡ってお届けしましたが、最終的な着地はまさにココで。一人ひとりが神話を知り、学び、検証し、自分なりの答えを持つようになっていただければと切に願います。

 

神話を持って旅に出よう!

神武東征神話のもう一つの楽しみ方、それが伝承地を巡る旅です。以下いくつかご紹介!

●橿原神宮:橿原に造営した宮殿跡地に建立された神社!

 

長い間お読みいただきありがとうございました。

本サイトは引き続き、神代に戻り、順次神様のお話をお届けしてまいります。

今後ともどうぞよろしくお願い申しあげます。もしよろしければご家族、ご友人他、皆さまへの拡散にご協力いただければ幸いです。

 

エピローグはコチラ!

『日本書紀』 巻第三(神武紀)

神武東征神話のまとめ、目次はコチラ!

 

この記事を監修した人

榎本福寿教授 佛教大学名誉教授 日本神話協会理事長 榎本福寿
埼玉県生まれ(S23)。京都大学大学院文学研究科博士課程国語学国文学(S53)。佛教大学助教授(S58)。中華人民共和国西安外国語学院(現西安外国語大学)文教専家(H1)。佛教大学教授(H6)。中華人民共和国北京大学高級訪問学者(H13)。東京大学大学院総合文化研究科私学研修員(H21)。主な書籍に『古代神話の文献学 神代を中心とした記紀の成りたち及び相関を読む』がある。『日本書紀』『古事記』を中心に上代文学における文献学的研究成果多数。

参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)

 

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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他
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